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田渕大介

2001年4月22日:本田宗一郎物語(第122回) を読んで

昨日の121回を読んだ直後は絶望的な気持ちになって怒ってばかりだったのですが、今回のお話を読ませていただいて、宗一郎とその弟子達の複雑な関係について考え直さざるをえませんでした。勧善懲悪で済むことであれば、悪を憎みきることで気持ちの置き場もありますが、人間というのはそんなに簡単なものではありません。そんなこと、日常の現実世界においてよく知っているはずなのに、目の前に許さざる光景が表れるといつも怒りを燃やしてしまいます。そして実際に、それが元になっての失敗ばかりです。そういった意味でも、本田宗一郎物語というのは、多くの示唆に満ちています。小説の中では、尊厳を奪われた天才だけでなく、尊厳を奪った側の人間たちも生き生きと生きています。多く寄せられている感想メールの中に、「他人事のように思えない」、「自分自身を省みないわけにいかない」といった意見が多いのは、その証だと思います。血の通った弱く醜い人間だからこそ生じてしまう内面的な葛藤が、まやかしではない本物のホンダのサクセスストーリーと悲劇のドラマを作り出したのだと思います。

アコードのパワステの話は、不覚にも始めて知りました。意外な事実でした。宗一郎の権威だけでは成し得ない、現場技術者たちの尊敬と尊重を感じるエピソードです。

桜井淑敏の4本ボルトの話は有名です。話だけ聞くとまるで魔法や神通力ですが、感覚的には理解できることです。宗一郎の中では筋の通った論理性のある結論だったに違いありません。普通なら、それでなくても忙しいでしょうから、そうした無茶な提案は無視したかったはずです。でも桜井がそれに従ったのは、宗一郎の語気や存在感にオーラを感じたからなのでしょう。そうでなければ、その後のF1での活躍の説明がつきません。ここにも、宗一郎のオーラの強さを感じます。

F1総帥だった川本が撤退の報告に行ったエピソードは、何度お聞きしても痛快です。宗一郎のなんたるかを如実に表しているエピソードだと思います。この天真爛漫さ・・・もし僕が川本だったなら、結果的に追い出してしまった宗一郎の存在感の大きさを改めて思い知ったに違いありません。このエピソードを知れば、誰でもが第2期F1のホンダ大活躍の原動力を垣間見ることができるのではないかと思います。その意味で、川本のセリフにはうなずけるものがあります。

現在の第3期F1参戦においてホンダが冴えないのは、最大のモチベーションを失ってしまっているから、と聞いたら、ホンダの関係者の方々はどのように感じられることでしょう?トヨタの参戦が怖いのは、彼らには「ヨーロッパでのシェアを獲る!」というビジネス上での明確なモチベーションがあるからです。そしてホンダに、トヨタと同じモチベーションで勝てるとは思えません。いつまでもぐずぐずしている今のホンダF1チームに必要以上のいらだちを覚えるのは、単純に勝てないからなのではなく、そうした自覚が無いのではないか、つまり、宗一郎への尊敬や尊重を忘れてしまっているからではないか、と思えてしまうからなのかもしれません。

今の日本人全体に、「人に喜んでもらいたい」、というモチベーションがなくなりかけてしまっているのではないかと思います。しかし、そのモチベーションこそが最強なのであって、それがあったからこそホンダという企業が奇跡的な成長を遂げたのだ、ということを、この小説は強く主張しているように思えます。かっこつけたり恥ずかしがったりうそぶく人ばかりですが、誰でもどんな人でも、喜んでもらえる人が必要なはずですし、最も欲しているはずです。今の時代を空虚に感じるのは、価値観の多様化だのなんだのとへったくれを言って、自分の本当の欲求を知らずにいるからです。そして、その点にこそ、庄司さんの本田宗一郎物語連載に対する意図があったのではないかと思います。なるべく多くの日本人に、この小説を読んでもらいたいものです。

身近に尊敬に値する人物がいないと嘆く人がいるかもしれません。そういう人に一つ、偉そうですが、アドバイスしたいと思います。尊重すべき対象となる人物とは、自分以上に純粋に、「人に喜んでもらいたい」と思っている人です。周りにそうした人物が見受けられず、誰よりも自分が一番だ、と心底思えるのなら、周囲からどんなに傍若無人に映ろうが、暴君と呼ばれようが、遠慮なく人を怒鳴り飛ばし、無理矢理にでも他人を引っ張りまわせばよいのです。その確信が本物であれば、周囲からは必ず認められ、人が育ち、成功するはずです。もしその確信が宗一郎に負けないくらいのものであったなら、ホンダに負けない企業がつくれるはずです。誰かに従うときも、誰かを従えるときも、常にそのことを基準にすればよいのではないでしょうか。

この連載小説から、そうした考えを授かったように思います。

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桑島勝典 君の感想を読んで

 迫力のある感想分だと思いました。今うちにこうした感想を書ける社員は、彼を置いて他にはいません。いつの間にこうした感想が書けるようになったのでしょうか?思い返してみれば、最近の彼の仕事振りから、以前の彼からは考えられなかったお客さんへの突っ込みが見て取れるようになりました。所謂、「清水の舞台から飛び降りる覚悟」です。それも、うちの責任から離れたところで起きたトラブルのせいでプロジェクト全体に支障をきたしているとき、それを救うための身投げです。自分のふところが痛むことを覚悟の上で、しかし、我と我が身のリスクを冷静に見据えながら、敢えて「うちでやります」と言い切る覚悟を、僕の全く知らないところで見せてくれました。彼のおかげで、多くの人や組織が救われたのは言うまでもありません。彼には丸ごと一つの仕事をまかせられるので、僕が一緒に客先に出向くこともめったにありませんし、僕自身、お手本を示せたという自負もありません。もとより彼を育ててやろうなどと意識したことすらないのです。しかし彼は明らかに成長しました。そして、気付きました。彼は本田宗一郎物語を読み、その感想を書き続けることによって、ここまで伸びたのではないでしょうか?だとしたら、本当に素晴らしいことです。予想以上の成果が、最も近しい身内にこうまで明確に表れてきたというのは、無常の喜びです。120日以上もの長い間、いろんな出来事があり、気を抜けた日はありませんでした。
 僕らが切ないほどに大好きで尊敬してやまない本田宗一郎の偉大さとホンダという企業の素晴らしさ、そして何よりも、連載開始にあたっての庄司さんの意図や理想の力だと思いました。

 ひとつだけ、彼の感想に望みたい点があります。うちは間違いなく、創始者の存在が周囲に様々なかたちで影響を与えた結果、「人のために、という気持ちが、自己陶酔にものすごく勝っている」稀有な会社なのであり、それが全ての中心にあるが故に成り立ち、ここまで来れている素晴らしい企業なのですから、そのことに対する誇りや喜びについても、是非自己分析して書いてもらいたいものです。


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2001年4月25日:本田宗一郎物語(最終回) を読んで

 遅くなりました。拝見しました。すばらしい締めくくりでした。
 責任の重さをひしひしと感じて、身が引き締まる思いです。
 今日、一緒に食事をした人たちは、みんなそれぞれにこれまでの苦労から開放され、とてものびのびとしていました。 特に社長は、さすがに嬉しそうでした。
 そんな社長を見るのは僕もとても幸せに感じましたが、
 そのことよりもこれから先に待ち受ける多くの困難を思い、
 僕自身はそれほど楽しさを覚えませんでした。
 その困難さとは、庄司さんが書かれているように、僕ら自身がコマンドーとしての終わりを迎え、
 まだ見ぬ未来に向かって再スタートを切らなくてはならないことに対する思いからなのかもしれません。
 しかし、ここまで本田宗一郎物語に付き合わせていただいて、ホンダと同じ失敗をするものか、と思います。
 庄司さんから叩き込まれている僕らの目的は、200年後の世界に貢献することです。
 ホンダは、宗一郎やその要素を排斥することによって、多くの可能性を失ってしまいました。
 宗一郎の名前は間違いなく永遠のものですが、企業としてのホンダがこれからさきにできることは、
 トヨタとあまり違わないのかもしれません。
 僕は、そうなりたくありません。
 上場するまさにその日に、
 本田宗一郎物語を終わらせたのは、庄司さんが未来に向けて打ち込んだ、
 強烈なクサビのようです。
 生涯忘れてはならないと思います。


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