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桑島勝典

2001年4月22日:本田宗一郎物語(第122回) を読んで

西田氏の水向けに対し、涙をハンカチで拭いながら『良く言ってくれた』
と言った宗一郎氏の真意は凡人の僕には考えの及ばない事が
多いかも知れませんが、とにかく、泣かされる思いがしました。

ただ、前にも書きましたが、HONDAという会社が
本田宗一郎氏抜きには語れない、という事実と、
つまりそれは宗一郎氏の思想や魂が込められた会社である
という事の中に救いを求めながら読ませていただきました。

それと同時に僕の中での、天才の定義に多くの事柄が
付け加えられた気がします。
それは、天才とは存在しているだけで様々な形で周囲に影響を与え、
本人が意図せずとも、その思想が広まっていくような力を持った人、
という事です。(その過程が人に認められるかどうかは別問題、
といった点で悲劇を生んだりもしますが...)。

また宗一郎氏に関して付け加えるなら、
宗一郎氏の、一個人の評価に執着しない性格も、
根強くその思想を広めた理由になっているという気もしました。

もっともこれは、本当に"人のために"という思想であれば、
必然的にそうなっていくものとも言えますが、
それは口で言うほど簡単なことではなく、恐ろしく純粋な部分を
求められるものであり、また、どういうわけか、それは
周囲からは妙な圧力がかかりやすい部分でもありますので、
そうした圧力に耐える忍耐力も必要なものと思われます。

更に、そうした思想が純粋であればあるほど、
多くの人々が最終的には「人のために、何でそこまで...」という、
弱さを持っているという点で、皮肉なことに、
内部からの圧力にもなりえてしまう事だと思われます。

エジソンでもそうだったと思われますが、天才とよばれる人達が
生み出した、本当に人々のために役立っている成果物は、
決して机の上でスマートに設計されたものではなく、
多くの試行錯誤と努力の結果生み出されたものだと思います。
そして、それを成し遂げるには宗一郎氏のような様々な力を
要求される事だと思います。

と言うよりも、天才とはそういう事を成し遂げられる人だ、
という認識でいたいと思いました。
少し古いですが「学歴社会」などの言葉に代表されるような過ちは、
こうした認識の欠如によるものだと感じます。
人のために、という気持ちが、自己陶酔にほんの少しでも勝るのなら
学歴社会も、そう悪くは無いという気もしますが、
そんな精神力を持った人は、ほとんど居ないというのが現状
の様な気がしますので、この本田宗一郎物語からは、
誰もが多くの事を学べるのではないかと思いました。

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2001年4月25日:本田宗一郎物語(最終回) を読んで

長い間、本当に有難う御座いました。
とても勉強になりました。
本田宗一郎物語を、わかりやすく、
そして魂のこもった内容にすることが出来るのは、
庄司さんを除いては、恐らく他に誰もいないと思われます。
貴重な文章をたくさん配信していただけた事に心より感謝申し上げます。
また、田渕さんとお兄さんにも感謝したく思います。
有難う御座いました。

そして最終話、何やらとても面白く感じてしまいました。
例えば僕が外部の人間で、庄司さんのことを知らずに、
この物語を読んでいたとしたら、
どうして、この物語が一般的な本田宗一郎物語とは違うのかを
ここで初めて知ることになっただろう、と思ったからです。

そうした場合、ここで、これまで読んできた内容が
それまでの解釈とは違った意味を持って、再び、
初めから思い返されるのではないか、と思いました。

最後の最後ですが、とても庄司さんっぽい雰囲気を、
感じさせていただきました。

ありがとうございます。

あと、みなさんの感想集も読ませていただいたのですが、
ここで、日向野君のこの感想は、初めて読ませていただのですが、
これは、嬉しい半面、えらくプレッシャーがかかりました。
庄司さん、田渕さん、中島さんにかかっているプレッシャーが
少しだけわかったような気がします。

日向野君に「頼りになります」などと言われると恐いものがありますね。
そのくらい彼は重たい存在になっているのですが、
本人はあまり意識してないようですので、余計に恐く感じます。

(冗談ではありませんが) 寄りかかれたら、かなり重そうです。
僕の力では耐えかねて潰れてしまうかもしれません...。


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