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2001年4月18日:本田宗一郎物語(第118回)

 1963年、アメリカ連邦政府は、全米を対象とした大気清浄法を制定し、1965年には自動車汚染防止法が追加された。この年の夏、将来の四輪輸出に備えるために、本田技術研究所では、大気汚染研究グループを発足させた。
 1966年6月、日本自動車工業会は、アメリカにおける自動車公害の現状を視察するために調査団を組織し、渡米させた。ホンダからは、大気汚染研究グループの八木が参加した。
 帰国した八木が、研究所長の杉浦に報告。それをきっかけに、大気汚染対策研究室(社内ではAP研と呼ばれた)が30人の要員で発足することになった。1966年9月のことである。
 1966年といえば、ホンダがF1に夢中になっていた時である。宗一郎にAP研の話をすると、
 「いいね。面白いテーマだ。それにチャンスだな」
 「チャンスとは?」
 「まず空気を汚さないというテーマはいい。人間にとって優しいということだからな」
 「はい。ただ、チャンスというのは?」
 「つまりだな、うちは四輪メーカーでは最後発だ」
 「はい」
 「しかし、このテーマで先に研究をしているメーカーはないわけだ」
 「ええ」
 「だから、今からヨーイ、ドンのスタートだろ。どのメーカーも同じスタートラインに立ったわけだ」
 「はい」
 「だったらうちが一番先にゴール着くからさ」

 AP研は、様々な調査を行った。
 ガソリン・エンジンの改良案、ディーゼル・エンジンの改良案、ロータリー・エンジン、ガスタービン。酸化触媒、再燃焼装置(サーマルリアクター)。アルコール燃料や水素燃料の可能性。これらの報告書が作成され配られた。
 宗一郎がAP研に顔を出した。
 「お前ら何をやっているんだ」
 「はあ……」
 「あのな、ガソリン・エンジンが駄目そうだから、ディーゼルではとか、ロータリーならどうか、みたいな考えじゃいかんのだ」
 「は、はい」
 「世界中の車のことを考えてみろ。たとえばガスタービンなら対応しやすいといって、うちがガスタービンの車を作って世に出したって、それで世界中の空気汚染が食い止められるわけではないだろう」
 「はあ……」
 「つまりだ、世界中に出回っているガソリン・エンジンの改良だけで空気を汚さないものを作らなきゃいかんということだ」
 「はい」
 「それにな、研究ってもんは目標をきちんと設定してから取り組むもんだ。そして一旦取り組んだら少々うまくいかないからといって別のものに手を出してはだめだ。絶対にこれで行くんだ、行ってみせるという気迫がいい結果を生むんだ。よく憶えておけ」

 その後、AP研は、吸気と燃焼の制御を基本として、有害物質は後処理装置で処理する方向で研究をすることになった。
 そこに宗一郎が現れた。
 「お前らな、どうしてそう安易な方向に流れるんだ」
 「とてもエンジンの改良だけでは……」
 「なんで、やりもしないでそんなことが言えるんだ」
 「すでに工場の煤煙で成果を上げている触媒を使うのが一番近道かと。他社でもこの方法が有力だと……」
 「他社がだと?いいか、うちはうち独自でやるんだ。他社がどういうことしているかなんて考えるんじゃねえ」
 「は、はい」
 「ちゃんと燃焼させることができれば排気ガスはそんなに出るもんじゃねえはずだ。ちゃんと燃やすことを考えろ」

 宗一郎のその言葉がきっかけとなって、完全燃焼を目指すことになったが、完全燃焼をもたらす空気とガソリンの混合比では、最初の着火が不安定であることがわかっていた。
 そこで、着火をしやすくするために別の燃焼室を設ける方法はどうか、ということになった。
 副燃焼室付エンジンは、ディーゼル・エンジンの一部では実用化されていたし、ソ連などでは粗悪ガソリン対策として研究されていることがわかった。しかし、排気ガス対策用での研究はなされていなかった。そこでAP研では副燃焼室付きの実験用エンジンを設計することになった。
 そのエンジンを設計している段階で、宗一郎がまた顔を出した。
 「なんだ、この図面は」
 「副燃焼付きのエンジンですが」
 「お前らがその研究をしているのは知っている。いい方法だとも思う」
 「は、はい」
 「だがな、うちには実験用に作ったディーゼル・エンジンがあるだろう、副燃焼室の付いたやつが。それを使えば、すぐ実験が始められるだろう。そうやって時間をかせぐんだ。わかったな!」

 こうして、1969年12月から1970年の2月まで、ディーゼル・エンジンを改良して作ったエンジンで実験が行われた。そこで、ガソリン・エンジンで希薄燃焼の可能性が確認されたのだった。


2001年4月19日:本田宗一郎物語(第119回) につづく


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