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2001年4月17日:本田宗一郎物語(第117回)

 1969年の夏が過ぎても、自動車メーカーを直撃したリコール問題、さらにN360の"欠陥車"キャンペーンは、いまだ猛威をふるっていた。
 主要メーカー各社の首脳が、国会の交通安全対策特別委で喚問を受けたのは、9月21日のことである。議員たちの問いは、他メーカーについては、法制化が決まったリコール制度への対応に関する内容に終始したが、ホンダに対するとき、彼らの目の色は変わった。欠陥キャンペーンを背景に、N360の操縦性や安定性について、訊問まがいの厳しい質問が飛び交ったのである。
「N360に欠陥はございません」
 毅然と応じたのは、専務の西田通弘であった。喚問の席に誰が行くべきかを河島喜好と相談した結果、西田はその役目を自ら買って出たのである。国会での応答が純粋な技術論にとどまるとは思えない、であれば技術系の役員は避けた方がいいだろう、というのがその論拠であった。西田の冷静さを知る河島も、これに賛同した。正解であった。議員のなかには、ホンダを挑発するとしか思えぬ調子で、N360の公開テストを求める者もいたのである。西田は、これにもためらいなく応えた。
「公開テスト、大変望むところであります」
 こうした的確な対応により、国会での答弁は事なきを得た。

 しかし、いったん食い込んだマスコミの牙はホンダを離そうとしなかった。N360の安全性が、国会という特殊な場に持ち込まれた事実のみを取り上げ、さらなる集中砲火を浴びせたのである。
 こうしたとき、ホンダが「安全は利益に優先する」という社是を掲げていること、あるいは五年も前から、鈴鹿サーキットを利用して、白バイ隊員や郵便局の配送員などを対象とする安全教育を実施してきたことを取り上げようとするジャーナリストはいない。
 宗一郎が藤沢と初対面を果たした折、こう発言したことをご記憶の読者も多いだろう。
「俺は箪笥じゃなく、人間の命をあずかる品物を売ってるんだ」
 それは今や、ホンダ全体に浸透する思想でもあった。
 だが、そうした観念的な事柄は、N360めがけて吹き荒れる大嵐のなかでは、ろうそくの小さな炎ほどの力も持ち得なかった。同車を"走るカンオケ"とまで罵倒するマスコミも現れ、N360の売り上げは激減の一途をたどった。ホンダの誰も、それをどうすることもできなかった。そしてこの問題は、翌年、日本自動車ユーザーユニオンなる消費者団体が本田宗一郎個人を東京地検へ告訴するという、異常な状況へと突き進んでゆくのである。

 なぜN360だけがバッシングを受けたのか。
 これには諸説あった。なかにはホンダの凋落を企んだ某軽自動車メーカーが陰謀を企て、裏舞台で暗躍しているという、まことしやかな、しかし高い信憑性を帯びたうわさもあった。これについて藤沢は、以下のような見方を示している。
「マスコミが波及効果をねらったということでしょう。いろいろな車種の、さまざまな不具合を羅列して取り上げてもインパクトがない。そこで、いちばん人気のあったN360が槍玉にあげられたんでしょう」
 陰謀説をまともに受け取ったホンダマンは、藤沢以外にも一人もいなかったはずである。そしてそれこそが、ホンダという企業の本質でもあった。

 N360をめぐる騒動の決着には、それから約十七年という歳月を要した。
 1970年8月、死亡交通事故と車の欠陥性との因果関係をめぐり、ユーザーユニオンは遺族に代わって宗一郎を告訴するが、一年間の捜査と鑑定を経て、決定は不起訴処分。その後も多額の賠償金を求めるなど、執拗な攻撃を繰り返したユーザーユニオンの代表者二人を、同年11月、ホンダは告訴するに至った。顧客を訴えるという判断は、言うまでもなく、ホンダにとって苦渋に満ちた選択であった。だが、この告訴による捜査段階で、ユーザーユニオンの事務理事と弁護士が、ホンダを含む自動車メーカー数社を恐喝していた容疑が判明、二名は逮捕されるのである。
 1977年の第一審、1982年の控訴審はいずれも有罪。そして、無罪を求めた被告二名からの上告は最高裁により棄却され、二審通りの有罪が最終的に決定したのが、1987年1月のことであった。

 時計の針を1970年に戻そう。東京地検によるホンダへの捜査は長引き、膨大な書類の提出や事情聴取で、ほとんど仕事にならない状態が続いていた。何よりも求められる新車の開発は遅れ、販売台数の落ち込みで、取引条件や販売代金の回収までが悪化していった。ホンダは底のない窮状にあえいでいたのである。
 だがそこに、細い、しかし鋭い光が射し込む日がついに訪れる。その契機となったのは、世紀の悪法としてホンダ以外の全メーカーを震撼させた、マスキー法の発動であった。


2001年4月18日:本田宗一郎物語(第118回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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