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2001年4月12日:本田宗一郎物語(第113回)

 昭和44(1969)年3月、世界でも例のないDDACエンジンを搭載したホンダ1300は、ようやく量産立ち上がりの段階を迎えていた。しかしそれは、不安定きわまるスタートでもあった。テスト用に使った部品を周囲に次々とまき散らし、その山の上から新たに廃棄されたテスト部品を積み上げながら、よたよたと走っている。ホンダ1300は未だ、そうした状態にあった。一切の妥協を嫌った宗一郎が、ぎりぎりまで設計変更を繰り返していたのである。
 例えば、1968年に大々的に売り出した50ccの小型バイク、「モンキー」に続く「乗用車のトランクに搭載可能」なバイクの第2弾「ダックス・ホンダ」がホンダ1300と同じ時期に発売される予定だった。ところが、あろうことか量産直前のホンダ1300のトランクに搭載できないということが、宗一郎のチェックで初めて判明した。もちろん宗一郎は烈火のごとく怒った。
「お前ら一体何を考えてるんだ!一からすべての設計をやり直せ!」
「しかし社長、鈴鹿ではすでに生産が立ち上がろうとしています。これ以上の変更はラインの混乱を招くだけで―」
「馬鹿野郎!ふざけるな!ラインの混乱が何だ。このまま市場に出して、誰よりも迷惑をこうむるのはお客さまなんだぞ。生産ラインのために製品があるんじゃない!すぐに鈴鹿へ行ってこい!」
 チーフ・デザイナーが鈴鹿に行くと、今度は技術部からの苦情が待っている。
「研究所は何をやってるんだ。こんなんじゃいつまで経ってもラインは動かないぞ!」
 衝突は、いつ果てるともなく続き、設計スタッフは朝から真夜中まで幾度となく出される設計変更の指示に、心身ともに衰弱していった。見かねた研究所長は、設計室に特設の場を設け、そこにベテランの研究員を置いた。そうして、宗一郎にこう申し入れた。
「社長、このままでは担当者が混乱するばかりです。ご意見は直接彼らには言わず、ここに来てお話しください」
「俺を連中から遠ざけようというのか」
「そうではありません。指揮系統に、われわれの目にも見える流れを作りたいだけです。社長のお話はすべてお聞きして、優先順位をつけます。そこから順次、設計部に落としていきますから」
 宗一郎は、これを渋々受け入れた。どこまでも徹底してのめり込む自分の性格が、量産化を遅らせている事実は百も承知していたのである。しかし宗一郎に、手を緩めるつもりはまったくなかった。どころか、ホンダ1300だけは自分の思う通りの車にしたい、という希求は、逆に烈火のごとく燃えさかった。だが、ときおり、小さい旋風(つむじかぜ)のような淋しさが心を揺らして過ぎるのを、意識しないわけにはいかなかった。
「時代は変わったのか。会社が大きくなるというのは、こういうことなのか……」

 量産開始の予定は遅れ、研究所は最終手段に打って出た。設計者自らが責任を持って立ち上げるために、鈴鹿駐在部隊を編成し、工場近くの宿に送り込んだのである。彼らが長期滞在をしながら設計変更をおこない、工場のラインは二十四時間体制でそれに応じる。そうした異常な事態が現出したのである。
 まさに、狂気の沙汰であった。設計とテストの担当者は、朝から現場を回って討議を繰り返し、夕方になって設計変更のための図面を起こす。その経過は研究所にも上げられ、依頼しておいたテストの結果や宗一郎の意見を加えた打ち返しが来る。その間も、ラインではホンダ1300が流れているのである。
 一時期、エンジンと車体の設計変更は一日平均百八十件に及んだ。図面完成と同時に、鈴鹿駐在部隊には資材や工務ら現場各課の担当者が集まり、取引先へと直行する。変更当日の深夜には納期回答、製作開始という、息もせずに綱渡りをしているような毎日が続いた。連日の徹夜作業で極度の睡眠不足に陥り、トイレに入ったとたん、居眠りをするスタッフも出る有様であった。誰もが危機感を募らせていた。

「混乱が大きすぎる。生産ラインをストップして、発売は5月に順延する」
 決断を下したのは、取締役の河島喜好であった。
 陣頭指揮に立つ宗一郎の信念は、今やホンダ1300に携わるすべての人間に浸透していた。手を抜く、適当にやる、いい加減にすませるといったことは、一切通用しない張りつめた空気が工場のすみずみを支配していたのである。であれば、と河島は考えた。
「設計変更が必要なくなるまで、徹底的にやればいい」
 河島の英断を受けた鈴鹿工場では、ついにラインの逆走が始まった。車体をばらしてエンジンを下ろし、それを分解してゆくのである。設計変更が加えられたパーツは最新のものに変えられ、他の部品は洗浄してラインに戻す。そうした日々が一か月以上にわたって続いた。油まみれで働くスタッフは、ここでも妥協を知らなかった。

 昭和49年5月、本田技研は、ホンダ1300・77シリーズ100馬力、99シリーズ115馬力の2タイプを同時発売。宗一郎はじめ、この車の誕生に関わった者全員が、並々ならぬ自負とともにこの日を迎えた。藤沢武夫を中心とする経営陣も大きな期待を寄せた。ホンダ1300は、ホンダ四輪の歴史に、新たな記念碑としてそそり立つはずであった。


2001年4月13日:本田宗一郎物語(第114回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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