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2001年4月8日:本田宗一郎物語(第109回)

 ピット前を慎重に走っているシュレッシャーを久米は2回見た。
 「そう、そう、そういったペースで走ってくれていればいいんだ」
 中村は、レイン・タイヤでセカンド・グループを引き離しにかかっているジャッキー・イクスを恨めしく思っていた。サーティーズはセカンド・グループの中で、スチュアート、リント、ロドリゲス、ヒルとデットヒートをしていた。
 「雨に強いサーティーズだ、今回は上手くやってくれよ」
 テールエンド・グループが前を過ぎていくとき、
 「おいおい、お前ら、トップ・グループの邪魔はするなよ」
 と思った。

 彼らが過ぎていってまもなくのことだった。
 「おい、だれかやったぞ」
 という声を久米と中村は聞いた。
 「ヘアピンの方だ、黒煙が上がっている」
 アナウンスはない。
 「誰だろう。うちのチームでなければいいが……」

 気をもんでいるうちに、トップ・グループが最終コーナーにエンジン音とともに現れてきた。
 「大丈夫だ、サーティーズは無事だ」
 中村は声を出した。
 久米は、じっとシュレッシャーを待った。
 しかし……。

 しかし戻ってこなかったのはRA302だった。
 久米は駆け出した。真っ青な顔をしていた。どこをどう走っていったのか自分でも覚えていなかった。
 事故現場は想像以上にひどかった。久米が着いた時、消火作業が終わり、焼死体となったシュレッサーが担架に移されるところだった。久米は吐いた。

 RA302の事故は、トップグループに影響を与えた。
 リントがRA302が撒き散らした破片を踏んでパンクして脱落した。
 45周目には、2位を走っていたロドリゲスも破片を踏んで、ピットにもどった。
 この時点で、イクス、サーティーズ、スチュワートの順になり、
 そのまま60周のレースを終えた。同一周回は、イクスのフェラーリとサーティーズのRA301だけで、その他はすべて周回遅れとなった。サーティーズとイクスの差は2秒ほどだった。

 中村は怒っていた。
 「あの事故がなければサーティーズが優勝していたのに」
 中村は、久米とフランス・ホンダのマネージャー:ベルビエをどやしつけてやろうと探したが、見つからなかった。
 「あいつら、逃げたな」
と中村は思った。

 久米は、シュレッサー婦人を探した。
 婦人はシュレッサーが収容された病院だ、と聞いてそこに駆けつけた。
 しかし、すでに病院にはいなかった。
 ホテルの部屋にいることはわかったが、鎮静剤を打って寝ていると聞いたので、明日まで待つことにした。

 サーティーズは事故原因をどう思うかというインタビューを受けていた。
 「原因を知っているのはかわいそうなジョーだけだ。しかし、プロドライバーとして言うならば、どんな事故であってもそれは避けられるものであり、避けられなかったとすればそれは自分にとってのオーバー・ペースだということだ。ドライバーはその覚悟の上で走っているものだ」
と、サーティーズは語った。

 東京に連絡が入った。
 川本は夜中の3時に電話のベルを聞いた。
 「とうとう優勝したか」
 そう、川本は思った。
 内容を聞いて、川本は不安になった。
 「自分が設計したギアが壊れてロックしてしまったためにスピンしたのか」
 そう川本は思いながら研究所に向かった。

 研究所で事故の概略を聞いたが、事故原因はわからなかった。
 スタッフが現地に連絡しても、中村も久米もつかまらなかった。
 そこに、本社常務となっていた河島が来た。
 「おまえら、何をびくびくしているんだ。そんな心構えでレースをしていたのか」
 と怒鳴った。
 「自分が担当した部品が原因でなければいいなんて考えるんじゃねえぞ」
 「……」
 「レースに事故やトラブルはつきものだが、結果の全てを受け入れられないような者はレースに関わるな」
 「……」
 この一喝は、かえってスタッフを落ち着かせたのだった。

 翌日、久米はシュレッサー婦人に面会を申し出た。
 覚悟をして面会だったが、婦人は、久米の顔を見て、泣き出した。
 久米も泣いた。
 久米は、これからパリに帰るという婦人をホテルの前の通りに送った。
 婦人は、
 「あの人は死んでしまったけれど、ホンダのF1に乗れたことを子供のように喜んでいました。生涯で最も嬉しかったに違いありません。本人にとっても悔いはなかったものと思います」
と久米に語った。それを聞いて久米は泣いた。

 久米と中村は事故の処理や補償問題のため二人でパリに向かった。中村は、久米と空冷F1RA302を罵り続けた。
 「お前らが来さえしなければ、俺のチームは優勝していたんだ」
それを聞いて、久米はシュレッサーとその婦人のことを思った。居たたまれなくなった。
 シュレッサー婦人には小さな子供もいるという。いったい、レースに賭けるということはどういうことなのだろう、と久米は思った。


2001年4月9日:本田宗一郎物語(第110回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、「HONDA F1 1964−1968」ニ玄社、「F1地上の夢」朝日文庫

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