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2001年4月3日:本田宗一郎物語(第104回)

 久米が家で悶々としていると研究所から電話があった。所長からだった。久米は、
「辞めますから」
と言った。
「わかった、辞めるならやめてもいい。ただし、最後だと思って、一度だけ研究所に顔を出せ」
と所長は言った。

 久米は研究所に行った。懐かしい臭いがした。研究所が自分を迎えてくれているような気がした。そんな気持ちで周りを見ていると、むこうから宗一郎が歩いてきた。
「まずいな」
と思った。が、宗一郎はニコニコしながら、久米を手招きした。逃げるわけにはいかなかった。
「上手くいっているそうじゃないか。こもったおかげで、はかどった、と川本が言ってたぞ」
「は、川本が」
「もう、レースに出せるんだろう。川本がテストも済んでいると言ってたぞ。次のレースには出せるのか」
「もう少し時間を……」
「どんなことだって、時間を決めてその時間内に仕上げようとすることが、かえっていい結果を生むんだ。次のレースは空冷F1の出場だ。素晴らしいことじゃないか。さぞかし君も鼻が高いだろう」
「……」
「初めから優勝しろ、なんていわないから安心しろ。画期的なシステムが発表できるだけで十分だ、最初はな。そうだ、記者発表もしよう。時間がないなら、羽田でカーゴに積み込む前に、そこですればいい」
「……」
「ありがとう。よく頑張ってくれた」

 久米が焦ったのは言うまでもない
「おい、川本を呼べ」
久米は、宗一郎が行ってしまってから、怒鳴り散らした。

「久米さん、来たんですか」
「バカヤロウ。おまえおやじに何て言った」
「仕方ないでしょう。久米さんいないんだから。毎日、おやじさんは久米さんをさがしにやってくるんですよ」
「……」
「あげくのはてには僕に、空冷の調子は、って聞くもんだから。まあまあです、と答えただけですよ」
「テストもしたと言ったんだろ」
「したじゃないですか。おやじさん立合いで」
「バカヤロウ、おやじが勘違いするじゃないか」
「久米さん、そんなこと言えませんよ。家でブラブラしていた久米さんが悪いんですから」
「うるせい!」
「僕だって忙しいんです」
「お前が余計なこと言ったから、おやじは空冷がもうレースに出れると思っているぞ」
「そりゃそうですよ、一ヶ月あれば何台だってエンジンを設計してしまう人なんだから、おやじさんも久米さんも」
「お前! そ、そうだ、佐野はどこにいる」
「久米さん、辞めるってウワサだったんですが」
「うるせい!佐野を読んで来い」

 久米を額の汗をぬぐいながら、佐野に言った。
「おやじが、これをレースに出せと言っている」
「大丈夫なんですか」
「大丈夫なわけないじゃないか」
「そうでしょうね。あれから何もしてませんものね」
「余計なこと言うな。俺とすれば、2,3周だけでも持てばいいんだが、いいアイディアないか」
「一ヶ月あれば」
「お前、皮肉を言っている時じゃないんだ」
「そうですね、オイルクーラーを付けて、オイルを冷やせば少しは持つかもしれませんね。おやじさんは許さないでしょうけど」
「よし、それでいこう」
「内緒でするんですか」
「他に方法はない。時間もないし」
「じゃあ、付けるには現地で、ということにしましょう。ここではまずいですから」
「お前も、ずいぶんと……」
「久米さんが言い出したことじゃないですか。やるなら覚悟してやってくださいよ」
「わ、わかった。向こうでつけよう。部品や、工具、頼むぞ。くれぐれもおやじさんにわからないようにな」
「わかってますよ。僕だって、おやじさんに怒鳴られたくはないですからね」

 こうして、空冷F1RA302は、未完のままフランスへ運ばれることになったのである。

 1968年6月29日、羽田国際空港の横にあるホテルの前庭で、RA302が発表された。
 フロントカウルに開けられたオイルクーラー用の穴は、カラーラインの引き方で巧妙に隠されていた。
 宗一郎はそれに気が付かなかった。


2001年4月4日:本田宗一郎物語(第105回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、「HONDA F1 1964−1968」ニ玄社、その他

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