Ws Home Page (今日の連載小説) 2001年4月2日:本田宗一郎物語(第103回) エンジンを空気だけで冷やす方法がどうしても思いつかなかった久米は、宗一郎に懇願した。 「冷却用のファンを付けさせてください」 宗一郎の答えは予想していた通りだった。 「駄目だ! そんなことをしたら普通の空冷エンジンになってしまうじゃないか。駄目だ、駄目だ」 久米は必死に食い下がった。 「エンジンは座席の後ろで、空気が均一にエンジンに当たらないので……」 「じゃあ、水冷はどんなんだ。ラジエターから遠いシリンダーは冷えないのか」 「水の場合は、強制的に循環させていますから」 「じゃあ、空気も強制的に循環させればいいじゃないか」 「だから、そのためにファンをつけて強制空冷にしたいと……」 「時速200キロで走る車だ。それが受ける空気の圧力を使えばいいじゃないか、ファンなど必要ないだろう」 「F1が外から受ける空気の圧力だけでは、エンジンの内部までよく冷えないのです」 「内部が冷えない」 「水冷の場合は、ピストンに近いところにウォータージャケットがあるので……」 「じゃあ、エンジンを内部から冷やせばいいじゃないか」 「はあ?」 「内部がよく冷えないんだろ」 「はい」 「だから、内部がよく冷えるように、エンジンの中に空気を送り込めばいいと言っているんだ」 「でも、エンジンの中にはオイルがあって、空気を通せばオイルが外に出てしまいます」 「いいか、そうやって反論ばかり言うのではなくて、どうすればその難題が解決できるかを考えてみろ」 「考えられなかったから、こうしてお願いに」 「じゃあ、エンジンの内部に空気を送り込む方法を考えていたというのか?」 「いいえ、そこまでは」 「だから、まだ、エンジンの中に空気を送り込む場合について考えていないんだろう」 久米は、こう言いたかった。 「そんな非常識は方法を思いつくわけないだろう」 しかし、言えなかった。久米が黙っていると、宗一郎が言った。 「エンジンの後ろに遠心分離器を付けろ」 「はあ?」 「空気がエンジンの外に出るときオイルを含んでしまうというんだろ」 「はい」 「だから、その空気がらオイルを分離すればいいじゃないか。そしてきれいな空気を外に出し、オイルはエンジンにもどせばいい、と言っているんだ」 「うまくいくでしょうか」 「やってみないで何がわかる。遠心分離器を付けてみろ!」 「は、はい」 久米はそんなの絶対に不可能だと思ったが、それも口に出せなかった。しかたなく宗一郎のいう通りに設計した。 試作エンジンの実験の時がきた。久米は上手くいくはずが無いと思っていたが、宗一郎はそのエンジンを見て、 「いいじゃないか。俺が考えていた通りのエンジンだ。いいぞ。いい仕事をした。さあ、回してみよう」 と言った。 久米は、ちゃんと回ってくれよ、と思った。 エンジンがテスト室の中で、エンジンが回り始めた。 久米の心臓はドキドキした。 エンジン後方の遠心分離器から出てくる空気はきれいだった。 「ちゃんと、オイルと空気が分離しているじゃないか」 宗一郎が子供のように喜んだ。久米はそれを見てホッとした。そして、 「うまくいくもんだな、実験をしなくてはわからないものだな」 と思った。 5分がたった。エンジンは無事に回転している。 久米はこれならいけるのかも、と思った。 が、6分ほどして、空気がにごり始めた。そうこうしている間に、部屋の中はオイルの蒸気で、先が見えなくなる程になってしまった。 久米はがっかりしたが、宗一郎は平気な顔をしていた。 「うまくいきそうじゃないか」 「……」 「5分はもった。これを10分、20分と持つようにすればいいだけじゃないか」 「……」 「それに、これは部屋の中だ、実際には、200キロ以上で走って、たくさんの空気で、エンジンが冷えるからな。その実験もしてみろ」 「……」 「エンジンを空気で冷やすという考え方は正しいんだ。それがうまくいかないとすれば、設計した奴がバカなんだ」 そう言って、宗一郎は行ってしまった。 久米は、最後の言葉にカチンときた。 「俺だって、おやじに喜んでもらおうと、そればかり考えて不可能に挑戦してきたんだ。それなのに、おやじの今の言葉は許せん!」 久米はストライキを起こした。おやじに、 「できませんでした」 とは言えない。しかし、いい方法が思いつかない。おやじに、 「どうした、上手く行ったか」 と聞かれるのが辛かった。だから家に閉じこもったのだった。 もちろん、宗一郎は、毎日久米を探した。 そのたびに、久米の部下達は、 「いい方法を思いついたから一人で考えをまとめたい、と言っていましたけど……」 といったウソをついた。 こうして一ヶ月がたった。久米はホンダを辞める覚悟をしていた。 2001年4月3日:本田宗一郎物語(第104回) につづく Back Home Mail to : Wataru Shoji |