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2001年3月18日:本田宗一郎物語(第88回)

  本田宗一郎物語(第88回)

 オウルトン・パークに続くスネッタストーン、そしてフランスのポーで開かれたレースで、ホンダエンジンを積むブラバムF2は続けざまにリタイヤを喫した。原因は、いずれもエンジン・トラブルであった。
 ブラバムは、久米にあっさりと言った。
「このエンジンじゃ駄目だな。ちゃんと仕上がるまで、私はコスワースに換えるよ」
 久米には、自分達が設計したエンジンがどうして壊れるのかわからなかった。したがって改良の目途は全くたたなかった。その状況下でブラバムに食い下がることは不可能だった。
 久米は、苦し紛れに、ブラバムに尋ねた。
「あの、恥をしのんで、お伺いしたいのですが?」
「なんだい?」
「あの、うちのエンジンにどうしてトラブルが続くのか教えていただけないでょうしょうか?」
「な、何? そんなこともわからないでエンジンを設計しているのか?」
「……」
「ミスターホンダに聞けばすぐにわかると思うがな」
「お恥ずかしい話ですが、社長には聞きたくないのです。自分達の力で解決したいと」
「僕に聞いたんじゃ、自分達で解決したことにはならんだろう」
「そこをなんとか」
「ミスターホンダが傍にいるのに、教えを乞わないのは、大きな損失だと思うがね」
「……」
「よし、ここだけの話として教えてあげよう。君達のエンジンに可能性はある。オートバイで培ってきたホンダならではのパワーには敬服するよ。だが、君達が設計したエンジンは、オイルがシリンダー内に満遍なくいきわたることがないようだ。それが壊れる原因だ。つまりは設計のミスだ。走行中のエンジン音を聞いていて気が付かなかったのかね?」
「……」
「天才的なエンジニアは感性で設計するものだ。そして、その感性があればエンジンの悲鳴も聞き分けられるのだがね。君にはそういった感性はないようだね。とにかくエンジンが壊れるのは、オイルがきちんと潤滑していないからだ」
「……」
「わかったかね」
「あ、ありがとうございます」
「一つだけ言っておくがね。私は、ミスターホンダが好きだ。僕のアドバイスが、ミスターと君達の仲を悪い方向に持ってていってしまった、てなことにならないように注意してくれよ」
「わ、わかりました」
 久米の肩をぽんと叩き、ジャック・ブラバムは工場から出て行った。
「くそォ……見てろよ」
 久米は奥歯を噛みしめた。いつか必ず、すべて解決してやろうと決意していた。その思いが実るまでには、まだまだ長い時間が横たわっていた。

 この時期のF2エンジンは、まるでオートバイ用エンジンのようだったから、過渡特性が悪くブラバムに気に入ってもらえなかったばかりか、トラブルの原因となった、と書いてある本もある。しかし、それは正しくない。オートバイの特性を引きずってきたからの弱点ではなく、コスワースの馬力を越えることだけを目標にして、吸排気効率をあげようと4つのバルブ径を大きくし、さらにバルブが開いている時間を長くとる、という設計からくるものである。オートバイ用のエンジンのように、マルチ・シリンダーエンジン(当時オートバイ班が開発中の250ccエンジンは、6気筒であった)ではなく1000ccで4気筒エンジンであったことを忘れてはならない。

「F2の設計を呼べ!」
 日本では、宗一郎がきりきりと眉を逆立てていた。F1ばかりか、F2までがリタイヤばかり続ける事態が我慢ならなかったのである。責任者の久米はヨーロッパにいる。となると、呼び出しがかかると、川本が社長室に向かうしかなかった。
「いったい何をやってるんだ、お前たちは! レースで勝とうという気概がないのか!?」
 毎日のように怒鳴られ、時には鉄拳を食らいながら、川本は必死でエンジンと格闘していた。それを嘲るように、ベンチ・テストでも次々に問題が噴出した。吸気量のばらつきによる乱流の発生。不安定な爆発。燃料噴射装置のトラブル。優勝はおろか、ホンダのエンジンを積んだF2がレースを完走できる日さえ訪れないのではないか。そんな疑念に取り付かれる日もあった。だが、投げ出そうと思ったことは一度もなかった。現場から遠く離れた場所にいながら、川本は川本で、レースに夢中になっていたのである。


2001年3月19日:本田宗一郎物語(第89回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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