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2001年2月9日:本田宗一郎物語(第51回)

  本田宗一郎物語(第51回)

 白子工場にこもった技術陣は、宗一郎と河島を中心に、ドリーム号E型に突如起こったエンジン・トラブルの原因を必死で探り当てようとしていた。
「E型エンジンは、もともと146ccで設計されたんです。225ccとなると、もう限界だったのではないのでしょうか」
 誰かがそう言うと、河島も、
「私もそう思う。ぎりぎり200までは行けても、225ccへのボア・アップには、やはり無理があったんだよ」
と賛同した。
 シリンダーの内部をけずり、ボア(内径)を大きくし、径の大きいピストンを使うようにすれば、基本的な設計を変えずに排気量を上げ、パワーを上げることができる。しかし、強度上の問題と、放熱対策の問題から限界はある。誰しもが、その限界点に達したからだ、と考えていた。
「いや、そんなことはない」
 ひとり異を唱えたのは宗一郎である。
「E型の基本設計はしっかりしているんだ。原因を突き止める前に、憶測でものをいうんじゃない。問題は他にあるはずだ。俺が必ず突き止めてやる」
 宗一郎は考えにふけった。あのエンジンの限界はこんなものではない……。2サイクルを捨て、4サイクルOHV方式のE型エンジン開発に心血を注いだ月日が、はるか昔の光景のようにぼんやりとよみがえった。夏の雷と雨。あれは箱根峠を試走した日だ。強い、バケツの中身をぶちまけたような雨だった……。
「社長、藤沢専務がお見えになりましたが」
 その声に、宗一郎ははっと顔を上げた。藤沢が工場に顔を出すなど、普段はあり得ないことである。技術陣も静まり返り、工場には重苦しい緊張がみなぎった。

「社長に頼みたいことがあってね」
 応接室のソファに、いかにも重そうに腰を下ろすと、藤沢は憔悴の目立つ顔に、苦しい笑みを浮かべて切り出した。眼の光が、いつもよりずっと弱い。
「何だよ、あらたまって。藤沢が工場にやって来るだけでもめずらしいのに、なんだか気持ち悪いな」
 軽口で応じようとする宗一郎だが、声は沈みがちになった。経営に関することで、藤沢が相談を持ち込むわけがない。製品についての何かだろう。藤沢の言おうとしていることが、聞く前からわかるような気がした。
「社長の作るものには一切口を出さずにきたが、今度だけは言わせてもらうよ」
 眼鏡を指先で押し上げると、藤沢はためらいを打ち消すように、一気に続けた。
「200ccのドリーム号をもう一度作ってくれないか」
 宗一郎はじっと動かない。その心中は、察するに余りあった。宗一郎ほどの技術者に、新製品を捨てて古い製品を生産しろと申し入れているのである。藤沢は、あえて平静を装って言った。
「緊急時だ。評判のよかった200ccなら売る自信がある。とにかく今は、確実に売れる商品がほしいんだ」
 さして間を置かず、宗一郎は淡々と応えた。
「わかった。そうしよう」
 藤沢が工場を訪れたのは昭和29年の4月20日。前にも背後にも退路のない、まさに背水の陣を、このとき宗一郎と藤沢は敷いたのである。

「わが社は今、深刻な経営危機に直面している!」
 工場に所属する全員を前庭に集め、宗一郎は臨時の増産体制と、そこに至った経緯の一切を告げた。カブ号、ジュノオ号、ベンリイ号、そして最新型のドリーム号。愛着をこめた製品の姿が、宗一郎の視界に浮かんでは消えた。
「こんなことになったのは、すべて社長であるおれの責任だ。……しかし、必ず、必ず再起してみせる!」
 思いもかけず、宗一郎の頬を涙が伝わり落ちた。両のこぶしでそれを乱暴に拭うと、宗一郎は一人一人の顔を確認するように見ながら、声を絞り出した。
「みんな! どうかもう一度、おれに力を貸してほしい。頼むっ!」
 宗一郎を包んだのは、不満をあらわにした怒号や非難の声ではなく、そこにいる全員からの心のこもった拍手であった。宗一郎の目から、新たな涙がたらたらと流れ落ちた。

 この日からの5日間、本田技研白子工場は全力を傾注し、機械をフル稼動させて、旧型のドリーム号E型200ccの緊急生産に入った。東京で待ち受ける藤沢は、販売代理各店の在庫製品はそのままにしておき、完成する端からドリーム号を送り出すよう指示を出した。藤沢の思惑通り、旧型のドリーム号は次々に売れた。こうして本田技研は、当面の危機は辛うじて回避したのである。
 だがそれは、単に急場をしのいだに過ぎなかった。技術と経営。それぞれにプライドを傷つけられた二人のプロフェッショナルは、それぞれの正念場を迎えようとしていた。


2001年2月10日:本田宗一郎物語(第52回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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