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2001年1月28日:本田宗一郎物語(第39回)

  本田宗一郎物語(第39回)

 ドリーム号D型は順調に売り上げを伸ばしていた。にも関わらず、本田技研の台所は苦しい状態が続いた。なぜか。人の喜ぶ顔が見たいという宗一郎にとって、金を回収するということに対して、苦手というよりは、無頓着だったからである。
「社長。どういうことですか、これは一体。売り上げの半分も売掛金が回収できてないじゃないですかッ」
 経理の主任からきつく言われても、宗一郎には正面切って返す言葉がない。
「わかってる、わかってるって。そうがみがみ言うなよ」
「言いたくもなりますよッ。われわれは慈善事業をやっているわけじゃないんです」
 集金に行ってみれば、その自転車店が夜逃げをしていた、別の店の店主は納入したオートバイごと逐電したという知らせが続々と入る。金勘定に無頓着な宗一郎の責任ばかりでなく、荒っぽさの残る世相を反映して、怪しげな客も多かったのである。
「……また取りっぱぐれですか」
 肩を震わせ、歯の間から押し出すように言う経理主任の前で、宗一郎は身をすくめ、らしいな、と力なくつぶやいた。青くなっていた主任の顔が、朱を注いだように紅潮した。
「らしいなとは何事ですか無責任な! こんな調子じゃ、この会社はつぶれますよッ!」

 いくらいい製品を作っていても、それに見合った収益がないことには会社は立ち行かない。宗一郎にもそれは痛いほどわかっていた。だが、具体的な手段となると何ひとつ浮かばない。
 数字の後にミリメートルやパーセントという単位がついていれば、どんなに長くても記憶できたが、それが円に替わった途端、さっぱりわけがわからなくなるのが宗一郎の頭の構造である。その大まかさが、結果的には、望んでも得られない成果を引き寄せるきっかけになるのだが、このときの宗一郎にはそれを知るすべもない。延々と続く経理主任の小言の前に、宗一郎はうなだれ、小さくなっているしかなかった。

 宗一郎に、財政上での危機感がなかったわけではない。
 これより数年前、宗一郎は竹島弘という男の訪問を受け、当時の本田技術研究所の窮状について訴えている。故郷の光明村で、父の儀平から資金援助を受ける直前のことである。
「自力でエンジンを作るための設備もほしいんですが、資金がありません。いずれ東京にも出たいと思っています。誰か金を工面してくれるような人が居ないものでしょうか?」
「すまんが、今のオレにはどうにもしてやれないなあ……」
 それは久しぶりの対面であった。二人が初めて顔を合わせたのは、竹島が浜松高等工業学校で講師として教鞭をとっていた時期である。ご記憶だろうか。その頃、宗一郎はピストン・リングの開発に腐心していた。そのために聴講生として学校に通っていた宗一郎は、竹島の脳裡に"とんでもなく頭の切れる男"として、強烈な印象を刻んでいたのである。
 竹島は、のちに上京して通産省に入るのだが、このときの対面が、本田技研の危機を救う強靭な伏線となる。いいかえれば、技術に賭ける宗一郎の一貫した情熱が、水面下で、すべてを動かす原動力となっていたのである。

 宗一郎が経理主任にやりこめられている頃、竹島弘はある人物と顔を合わせていた。宗一郎の活躍と、それに反する苦しい現況を伝え聞いていた竹島は、なんとか助けてやりたいと腐心していたのである。竹島の話を聞き終えた男は、眼鏡をきらりと光らせて快活に応じた。
「面白そうな人ですね。是非、やらせてください。僕が金の方を受け持ちます」
「そうか。そうしてくれるか。本田も喜ぶだろう。……僕からも礼を言うよ」
 思わず顔を上気させる竹島に、眼鏡の男は、にっこりと笑って言った。
「大きな夢を持っている誰かと組んで、思い通りの人生をやってみたいと前から思っていたんです。僕はお金をつくって物を売る。そしてそのお金は、組んだ相手の希望しないことには一切使わない。その人を面白くさせなければ、仕事はできないに決まっているからです。……相手が本田さんであれば、なおさらそうでしょうね」
 宗一郎の運命は、浜松から遠く離れた東京で、大きな変転を迎えようとしていた。


2001年1月29日:本田宗一郎物語(第40回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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