Ws Home Page (今日の連載小説)


2001年1月18日:本田宗一郎物語(第29回)

  本田宗一郎物語(第29回)

「弁二郎、何をしているんだ。急げっ、車を直すんだ」
「に、兄さん……無理です、体が動きません」
「弱音を吐くな、起きろっ、まだレースは終わっちゃいないぞ!」
 べったりと奥行きのない白黒の風景のなかで、弁二郎が必死になって身を起こそうとする。その肘が、がく、と折れ、地面に平たくなった弁二郎はそのまま動かなくなった。
「弁二郎っ」
 叫んだ宗一郎は、そこでようやく、自分もぴくりとも体を動かせずにいることに気がついた。白と黒だけだった視界に、不意に熱い赤色が粘り落ちた。片方の眼が焼けるように痛んだ。その感覚だけが現実だった。宗一郎は必死で眼を開こうとした。
「おお、気が付きましたか」
 宗一郎は弾かれたように身を起こした。と、左の眼だけでなく腕にもひどい痛みが走った。
「ちょっと、だめですよ、寝ていなくちゃ」
 目の前に、医師と看護婦の顔があった。消毒液のにおいが急に強く感じられた。宗一郎は左の肩から手首までを包帯に巻かれ、病院のベッドの上にいた。包帯は、頭と顔の左半分も覆っている。動く方の手で、宗一郎は思わず医師の胸ぐらをつかんでいた。
「ちょ、ちょっとあなた、何を」
「べ、弁二郎は? 弟はどうなりました!?」
「無事です、ご無事です。肋骨が四本ばかり折れてましたけど、大丈夫ですよ」
 宗一郎の右手から解放され、医師はため息をついて、首を振り降りつぶやいた。
「それにしてもあの事故で、二人ともよく命が助かったものだ」
 そうだレースは、そう訊きかけて、宗一郎は思いとどまった。ゴール前。黒煙。横向きの車。タイヤとタイヤの当たる厭な感触。後ろから突き上げられて。宙へ。迫る地面。暗闇。悪夢のような光景が、スローモーションのフィルムを切れぎれにつなぐように頭をよぎった。いや、実際にさっきまで、宗一郎は悪夢のなかにいたのだ。
「あっ、あなたッ、今度は何をするつもりなんですか!?」
 ベッドから降りようとする宗一郎の前に、医師はあわてて立ちふさがった。
「何って、帰るんですよ、浜松に」
「無茶だ。私は医者としてそんなことを」
 医師の言葉に耳を貸そうともせず、宗一郎は部屋の隅に畳んで置かれたレーシングスーツを見つけると、全身に残る痛みをこらえて着替えはじめた。茶色っぽい血のしみが点々と残るスーツからは、埃とオイルと敗北の匂いがした。
「だめですってば、そんな体で」
「弟には、よくなるまで休んでいるように言ってください。先生には申し訳ありませんが、自分の体のことは自分がいちばんよくわかっていますから。それじゃ弟をよろしく」
 なおも止めようとする医師と看護婦を振り切り、宗一郎は病室の外に飛び出した。多忙をきわめるアート商会を横目に、レースに出たいという自分のわがままで、仕事を投げ出して東京まで来た。それも弁二郎まで連れてだ。てんてこ舞いで働いている従業員たちのことを思うと、のうのうと病院で寝ている気には宗一郎はとてもなれなかった。

 その日のうちに浜松に戻った宗一郎は、妻のさちを、従業員たちを、心底から驚かせた。血と土に汚れたレーシングスーツ姿、しかもいくら元気さを装っても、包帯の目立つ全身は、ぱっと見には満身創痍である。
「あ、あなた……」
「大将、その体で東京から……」
 宗一郎は、無理に笑顔をつくって応じた。
「おいおい、何て顔をしてるんだ。包帯が大げさなだけだ、心配するな」
「大将、休んでいてください。その体で仕事は……」
「バカヤロー、片目片腕がきかなくっても、お前らの二、三人分は軽いさ。さあ、仕事だ仕事っ、もたもたするな!」
 その言葉通り、骨折した左腕を三角巾で吊り、眼には眼帯を当てたまま、宗一郎は働きづめに働いた。ほどなくして、妻のさちは、長女の恵子を出産する。が、それさえも、ただ仕事一筋に打ち込む宗一郎には関心外の出来事であった。

 レースで負った宗一郎の傷が癒え、包帯が取れる頃、それと歩を合わせたかのように、アート商会に弁二郎が戻ってきた。互いの回復を喜ぶ言葉もそこそこに、治ったばかりの大怪我などなかったかのように、二人の話題はすぐさまレースへと向かう。
「それにしても兄さん、あのレースは無念ですッ。事故さえなければトップで……」
「なあに、レースはあれだけじゃない。まだまだ何度でも挑戦してやるさ」
 自分の手で作った車で、いつか必ずレースを制してやる。車好きの、いや、日本の、世界中の目を、おれの作った車に釘付けにしてみせる。宗一郎はこの時、むらむらと甦ってきた悔しさを胸にたたんで、われと我が身に深々と誓ったのである。

 だが、時代は急速に暗い雲におおわれようとしていた。
昭和12(1937)年7月7日深夜、蘆溝橋での衝突を端緒に日中戦争が勃発。国内では次第に統制が強まり、乗用車は贅沢品として扱われるようになった。宗一郎の描く"大衆車"づくりの夢も、レースで勝利する野望も、頭上にのしかかる雲に吸い上げられるように遠のいてゆくばかりであった。


2001年1月19日:本田宗一郎物語(第30回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


Back
Home



Mail to : Wataru Shoji