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2000年12月25日:本田宗一郎物語(第5回)

  本田宗一郎物語(第5回)

 宗一郎の通う尋常小学校では、上級生が近所に住む下級生を集めて学校まで引率する決まりになっていた。始業式の朝、集合場所になっている橋のたもとで宗一郎を待ち受けていたのは、不安と不機嫌を塗り固めたような幸次と喜代次の顔だった。やがて全員が歩き出しても、二人は口もきかない。
「どうしたんだよ、元気ねえじゃねえかァ」
 宗一郎が声をかけても、二人は押し黙ったまま無言である。
「なんだってんだよ、二人とも……」
 気まずい空気に宗一郎も口をつぐみ、学校までの道を黙々と歩いた。通い馴れたはずの道が、その日はいやに遠く思えた。
 学校について校門をくぐると、それまで団子になって歩いていた子供たちはばらばらにほぐれ、それぞれの教室へと散ってゆく。三人きりになったところで、宗一郎は幸次と喜代次に鬱憤をぶつけた。
「どうしたってんだよ、さっきから妙にツンケンしちゃってさァ」
 顔をしかめる宗一郎の目の前に、幸次が自分の通信簿をさっと差し出した。
「え? 通信簿がどうしたんだよ」
「いいから見てみろよ。ハンコを押したところをさ」
 不承不承受け取った宗一郎は、確認欄に目を落とした。そして絶句した。
 そこには、幸次の姓である「笹竹」をちょうど裏返しにした形の印が捺されていた。「本田」は、通常のハンコのように縦書きにすると、左右を逆にしても見た目は変わらない。自分のニセ印の出来に気をよくした宗一郎は、他の姓が必ずしもそうはならないことをすっかり失念していたのだ。
「じ、じゃあ、喜代次のやつもか……」
 喜代次の姓は竹内。これも左右対称とはならない。
「ま、まいったなあ……うっかりしたよ……」
 宗一郎はしょげ返り、二人に平謝りに謝った。が、幸次と喜代次が自信満々、力をこめて捺したハンコを消すことはもうできない。二学期の開始早々、三人は水入りバケツを持って廊下に立たされる羽目になった。なかでも、張本人たる宗一郎のバケツが満々と水をたたえていたことは言うまでもない。

 この年、世界は激動の季節を迎えていた。七月に、帝国主義列強が引き起こした第一次世界大戦が勃発。八月には日本も日英同盟を名目に参戦し、中国・太平洋のドイツ領攻撃に参加している。その波紋は、宗一郎たちの暮らす光明村にも及んだ。とはいえ、出征兵士の歓送会が開かれる程度で、生活に大きな影響が出たわけではない。戦局は英・仏・露そして日本側に有利で、光明村から出征し、中国山東省の青島攻防戦に参画した兵士らも、日本軍勝利という美酒に酔い、暮れには全員が無事に凱旋している。

 のんびりとした日々が続いた。宗一郎は、スイカ畑に入り込んで盗み食いをしたり(スイカに穴をあけて中身だけを食べ、穴の方を下にして戻しておくのが宗一郎の流儀だった)、ハチの巣に花火を仕掛けて爆発させて喜んだり、職員室の水槽の金魚を取り出して一匹一匹に青や黄色のエナメルを塗ったりと、相も変わらずいたずらに明け暮れていた。
 やがて迎えた大正6(1917)年5月、宗一郎の生涯を決定づけたといってよい"事件"が起こる。アメリカから来日した飛行家が、光明村に近い浜松まで足を伸ばすことになった。そんな話を幸次が聞きつけてきたのである。
「いっ、いつだよ!?」
「あした和地山の練兵場だってさ。学校がなきゃ行くんだけどなァ」
「飛行機……」
 飛行家は、当時アメリカで、新しい空の王者と評判を呼んでいたアート・スミス。この年の前後、そのスミスをはじめチャールズ・ナイルズ、女流飛行家のキャサリン・スチンソンら曲芸飛行家の来日が相次ぎ、日本中が飛行機ブームにわいていた。機械好きの宗一郎が、そのブームを見逃すはずがない。飛行機、そのことばを口に乗せただけで、宗一郎の胸は熱く妖しく騒いだ。
 学校中がその話題で持ちきりになったその日、宗一郎は帰宅するなり、父の儀平に詰め寄った。
「とうちゃん、アメリカからすごい飛行機乗りが来るって本当か?」
「ああ、本当だ。なんでも若いのにいい腕をしているそうだ」
 儀平も興味がないわけではない。だが、仕事を休んで曲芸飛行を見に行くなど、頑固一徹な儀平には想像もできないことだった。
「行きてえな。行きてえなァ、おれも」
 めずらしく甘えてみせる宗一郎にも、儀平は判で捺したような返事を返した。
「寝言を言うな。お前には学校があるだろうが。それに入場料だって高いんだぞ。この村で見に行けるのは村長さんくらいのもんだ」
 こうなったら言い返しても無駄である。しゅんとした宗一郎は、とぼとぼと自室に引き上げた。
 だが、ことばで届かないなら行動に移すのが宗一郎である。深夜、家族が寝静まるのを待ち、そろりと起き出した宗一郎は、箪笥の小抽出から金をくすねると、夜の村に忍び出た。本物の飛行機が見たい。その思いを抑えることが、どうしてもできなかったのである。
 満天の星空であった。儀平の自転車をこっそりと持ち出すと、宗一郎は家を、光明村をあとにした。小学五年生にしては小柄な宗一郎に、父の自転車は大きすぎ、サドルに座ると足がペダルに届かない。左のペダルに足を乗せ、右足はフレームの間から突き出して逆のペダルを漕ぐ、いわゆる三角乗りで、宗一郎は浜松の町をめざしてひた走った。
 親に無断で家の金を持ち出した上に、学校は当然、無断欠席である。それがどんな罪であり、どれほどの罰を呼ぶのか、宗一郎はまったく考えていなかった。飛行機が見たい。前に進めば、それだけ飛行に近づける。ただその思いだけが、宗一郎の心を燃やし、身を駆り立てていた。
 浜松の和地練兵場まではおよそ20キロ。何度も転び、転んでは起きて重い自転車を立て直し、すりむいた膝ににじむ血も気にかけず、宗一郎は暗い山道をひたすら走った。遠く浜松の町が見えてきた頃、あたりは夜明けの光に染まろうとしていた。

2000年12月26日:本田宗一郎物語(第6回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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