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第4回 2000年12月16日


  偉大な石の顔(第4回)

 すると、偶々、その盆地の生えぬきの者で、何十年も前に兵士になったのが、幾多の苦戦を経験した後、今では有名な将軍になっていると云うことが知れた。歴史上では何と呼ばれているか知らないが、軍営でも戦場でも老ブラッド・アンド・サンダ(雷血)と云う綽名で知られていた。この歴戦の古つわものも、今では寄る年波と戦傷とで身体が弱くなってしまって、軍隊生活のざわめきや、永年の間、耳に鳴り響いていた太鼓の音や喇叭の響にあきあきして、生れ故郷の盆地に帰り、昔、安楽をそこに残して行ったことを思い出して、今、新しくそれを見付け出したい望みだという目論見を、近頃発表したのであった。ここの住民、即ち彼の昔の隣人達や其の子供で今は大人になった人々は、この有名な軍人を歓迎するのに、祝砲や公の饗宴を以てしようと一決した。そして今や遂に偉大な石の顔の生き写しが現実に現われたのだと云うことが、専ら取沙汰されたので、歓迎は愈々一層熱狂的になった。老ブラッド・アンド・サンダの副官の一人が、この盆地を旅行していて、将軍と石の顔とがよく似ているのを見て驚いたそうだと云う噂もあった。その上、将軍の学校友達や昔の知合い達が進んで宣誓までして証明したことには、よくよく考えてみれば、慥かに前述の将軍は、子供の頃から既にかの壮大な顔に酷似していたのだが、ただその頃は、皆うっかりしていて、遂に気が付かなかっただけのことさ、と云うのであった。だから、盆地中の興奮は大したものであった。今まで永年の間、偉大な石の顔をちらとも見る気なぞ一度もなかった多くの人々が、今ではそれを、じっと見詰めて、時の過ぎるのも知らなかった。それというのも、ブラッド・アンド・サンダ将軍が、どんな風な顔か、はっきり知りたかったからだった。
 大祝典の日になると、アアネストは盆地の人達と一緒に仕事を休んで、森の饗宴が用意されてある場所へと出かけて行った。彼が近づいた時、牧師バトルブラスト博士の太い声が聞こえていて、皆の前に置かれた様々の御馳走と、皆が集って歓迎している此の有名な平和の友の上に、神の祝福を祈っていたのであった。食卓は森を切り開いて作った空地に並べてあって、ぐるりは一面に樹木で囲まれていたが、唯だ東の方だけが開いていて見通しが利き、そこから偉大な石の顔の遠景が見られるようになっていた。将軍の椅子__それはワシントンの家から持って来た遺物であったが__の上方高く、ふんだんに月桂樹を挿込んだ緑葉のアアチがあって、アアチの頂点(てっぺん)には国旗__それを戦場に振りかざして、彼は幾多の勝利を得たのであった__が立ててあった。吾等の友アアネストは、この著名な客を一目見たいと思って、爪先で伸び上った。けれども卓子は物すごい群集が取りまいていて、祝辞や演説を聴き洩すまいとし、また答辞を述べる将軍の口から一言でも聴き取ろうと夢中だった。それにまた、護衛の役を受け持つ義勇隊がいて、群衆の中の特別おとなしい人に対しては、誰彼かまわず、情け容赦もあらばこそ、その銃剣で衝つき廻っていた。そのために、アアネストは、もともと出遮張り屋でなかったから、すっかり後方へ押しのけられていた。そこからは、もはや老ブラッド・アンド・サンダの人相はとても見ることは出来なかった。丁度その顔が今猶ここから遠く戦場にあって、烈火の如く燃え盛っているのと同然であった。気晴しに、彼は偉大な石の顔の方を振り向いて見た。すると、それは、忠実な永年の知己親友のように、森の見透しの向うから彼を眺め返えし、彼に微笑を送った。しかし、そうしている間中、彼は色々な人々の立ち話を洩れきいた、孰れも遥か彼方の山腹の顔と、その英雄の面差しとを比較して、話していた。
 「髪の毛一本までもそっくりだ!」と、一人の男が小踊りしながら叫んだ。
 「素晴らしく似てる、それは事実だ!」と、別の人がそれに応じた。
 「似てる!よく聴きな。大鏡に写った老ブラッド・アンド・サンダ自信が即ちあれだ、と、わしは云うのだよ!」三人目が叫んだ。「そりゃ其の筈じゃないか?彼は現代の、否、いつの時代にも、紛う方なき最大の偉人なんだもの。」
 して、この三人の話手は皆一斉に大きな叫び声を挙げた。それは電気仕掛のように、群衆に伝わって行って、幾千の声の結集した大きなどよめきを呼び起した。これが山々の間を幾マイルともなく響き渡って、まるで、あの偉大な石の顔が雷のような声を其の叫びの中へ吹き込んだのではないかと思われるばかりだった。こうした総べての評判や、この絶大な熱狂は、我等の友の関心を増大するに到った。尚又、彼は今や遂に山の顔はその瓜二つの人間を発見したのだということを疑う考はなかった。なるほど、アアネストは、この久しく待ちこがれた人物は平和な人物で、智慧ある言葉を語り、慈善を行い、世の人々を幸福にするような性格を備えて、現われて来るものと想像していたのであった。しかし、彼は極めて純朴に生れついた素質から、いつもの広い見解を取って、神は人類を祝福するのに、神独特の方法を選ばれるだろうと思い直し、若し測り知られぬ神慮で、事を左様に処理するのが適当だとあれば、軍人とその血腥い剣とに依ってさえ、人類を祝福するこの大目的は達成し得られるのかも知れないと考えても見たのであった。
 「将軍だ! 将軍だ!」と、今や叫びが起った。「しッ! だまってッ! 老ブラッド・アンド・サンダが演説を始めるぞ。」
 いかにも其通りであった。食事が終り、大喝采の内に、将軍の健康を祝する乾杯も済んだので、彼は、やおら、立上って、会衆に感謝の辞を述べようとするところであった。アアネストは彼を見た。群衆の肩越しに、きらきら光る二つの肩章と、刺繍をした襟から浮き出して、月桂樹を交えた緑葉のアアチの下に彼は居た! 頭上の国旗は低く垂れ下って、彼の額に日除けの役を勤めるが如くであった。そして其処に又、同じ一望の中に、森の通景を通して、あの偉大な石の顔も現われて、はっきりと見えていた! して、群衆が証言したような、そんな類似が実際あったのか? ああ、アアネストはそれを認めることが出来なかった! 彼は戦に疲れ、風雨に曝された顔を見た。それは精力に満ち、鉄石の心を表現していた。しかしながら、温和な智慧、深い、広い、柔しい思いやりは、老ブラッド・アンド・サンダの顔には全く欠けていた。そして、あの偉大な石の顔が、たとえ彼のような峻厳な指揮者の顔容を装ったとしても、もっと穏やかな特質が猶その顔を和らげたことであろう。
「これは予言の人物ではない、」と、アアネストは群集の中から出て来ながら、独り秘(ひそ)かに溜息をついた。「世間はまだまだ久しく待たねばならないのかなあ?」
 遠い山腹のあたりに霧が集っていた。そして其処に偉大な石の顔の雄大にして畏敬の念をそそる形が見えていた。畏敬の念はそそりながらも慈悲深い顔容で、恰も大天使が山中に坐して黄金色や紫色の雲の衣を身にまとうているかのようであった。それを眺めると、唇こそ動いていないが、猶も輝しい光を浴びた顔容一面に微笑が輝き溢れているとアアネストは信ぜざるを得なかった。多分それは、彼と彼が眺めていた物との間に、すうっと棚引いていた薄靄の中に溶け込んだ西日のせいであったのだろう。しかし__いつものように__彼の不思議な友の顔容がアアネストに希望を与えてくれた。これまで一度も希望を裏切られたことがなかった見たいに。
「心配するなよ、アアネスト、」と、彼の心が云った。まるで、あの偉大な石の顔が彼に囁いているかのように。「心配は無用、アアネストよ。その人物は来る。」

(つづきは: 第5回 2000年12月17日


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