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第5回 2000年12月17日


  偉大な石の顔(第5回)

 それから又幾年かの歳月が、どんどんと且つ穏やかに過ぎ去って行った。アアネストは、やはり猶、生れ故郷の谷に住んでいた。そして今や中年の男であった。人の眼にこそ着かないが、次第次第に人々の間に認められるようになっていた。今も昔と何の変りもなく、自分の生活のために働いていた。そして今迄と変りない同じ素朴な心の持主であった。けれどもその間に随分と種々の事を考え、且つ感じて来た。人類のために何か大きな善をしたいと云う世俗ばなれのした希望のために、自分の生涯の最も良い時間を非常に沢山費して来たのであった。その為め、まるで彼は天使達と談し合い、知らぬ間に天使達の知慧の一部を吸い込んでいたかのように思われた。この智慧は彼の日常生活の静かな、思慮深い慈悲の中によく現われていた。彼の穏やかな生活の流れは、その全流域に亘って広い緑豊かな岸辺を作っていたのだから。身分こそ低いが、この人が生きているがために、世の中が一層よくならないと云う日は一日としてなかった。彼は決して自分の歩いている道から、わきへ外れるようなことはしなかった。とは云え常に彼の隣人に仕合せを差しのべるのであった。殆ど無意識に、彼は又伝道師ともなっていた。彼の思想の特徴である清らかな、高度の純朴性は、それを現わす一つの方法として、彼の手から音もなく落ちる善行と云う形体を取っていたが、又それは言葉ともなって流れ出たのであった。彼が語った真実の言葉は、聞く者の生活に感化を与えて、その人格を陶冶した。彼の言葉を聴く者は、自分の傍にいる隣人、懇意にしている友人であるアアネストが、まさか普通の人間以上のものであるなどとは夢さら考えなかったであろう。アアネスト自身に到っては、尚更そんなことは感ずきもしなかった。しかし、小川のさらさら流れる音のように必至の力を以て、彼の口からは今まで他のいかなる人間の唇も語ったことのない考えが出て来るのを、どうすることも出来なかった。
 人々の心が、暫くの時を経て、冷静になると、彼等はブラッド・アンド・サンダ将軍の獰猛残忍な人相と、かの山腹の慈愛深げな顔(かんばせ)との間に、類似があると想像した自分の誤を率直に認めるに至った。しかるに今度又、かの偉大な石の顔の似顔が、ある有名な一人の政治家の広い双の肩の上に、確かに出現したという噂や、多くの新聞記事が出て来た。彼も、ギャザゴゥルド氏や老ブラッド・アンド・サンダと同様に、この谷で生れた人間であったが、幼時から故郷を離れ、法律と政治の仕事を専門として来たのであった。金持は富を持ち、軍人は剣を持つに引きかえ、彼は単に舌一枚を持つだけであった。そして、それは此の二つを一緒に併せたよりも遥かに有力なものであった。彼の雄弁と云ったら、ただ驚くばかりで、どんな事を取り上げて論じようとも、聴く者はただもう彼の言葉を信ずるより外なかった。邪も正と見え、正も邪と思われた。なぜと云うに、彼は好き勝手に自分の息一つで、一種の輝く霧を作って、それで自然の日光を暗くすることも出来たからである。実に彼の舌は魔法の道具であった。時として、雷の如く轟き、時としては、いとも妙えなる音楽を奏(かな)でた。それは戦争のどよめきであり、__平和の歌であった。その舌には心があるのかと思われた、__実際はそんなものは微塵もなかったのだが。偽りのないところ、彼は不思議な人物であった。そして彼の舌が、吾人が想像し得る、ありとあらゆる成功を彼に得させた時、__その弁舌が官庁の講堂や公会堂で、さては王公君主の宮廷に於てさえ聴かれた時、__弁舌が、正(まさ)しく津々浦々に響き渡る声のように、全世界に彼を有名にした後、__その舌は遂に彼の国人を説き伏せて、大統領の椅子に彼を据えようとするに到った。これよりさき、__実は、彼が有名になり始めるや否や、__彼に敬服する者どもは、彼とかの偉大な石の顔との間の酷似を見付けていたのであった。是には皆んなも痛く感動していたので、この高名な紳士は全国到るところで老ストゥニ・フィズ(石の顔)と云う名で知られていた。こう云う通称は、彼の政治的前途に頗る都合のよい様相を与えるものと思われた。と云うわけは、羅馬法王の位に就くものの場合と同様に、本名以外の呼名を付けられないで大統領になるものは誰もいないと云う習慣(ならわし)があるからだ。
 友人達が彼を大統領にしようと全力を尽している間に、所謂老ストゥニ・フィズは故郷の盆地を訪ずれるために出掛けて行った。勿論、彼は郷里の市民達と友情を交さんとする以外に、何の目的もなかったので、その地方を巡回することが選挙にどんな影響を及ぼすかなどと云うことは、考えてもみなかったし、気にも止めていなかった。この名声赫々たる政治家を迎えるために、すばらしい準備が整えられた。騎馬行列の一隊は州境まで出掛けて行って彼を迎えた。そして総べての人々は業務を休んで、彼が通行を見ようものと、沿道に集っていた。その人々の中にはアアネストもいた。我々が知っている通り、彼は一度ならず失望したのであったけれども、元来が大層希望に満ち、物を信頼する性質であったので、美しいと思われ、善いと考えられる程のものなら、何でも常々すぐと心を打込んで信ずる性分で合った。彼は絶えず自分の胸をあけっぱなしにしていたので、万一、天から祝福が降るような場合には、必ず受け損じはなかった。そこで、今度も亦いつものように、軽快な気持ちで、かの偉大な石の顔の似顔を見ようと出かけて行ったのであった。
 騎馬行列は威勢よく道を進んで来た。蹄の音いと高く、濛々たる砂塵を巻いてやって来た。その砂烟がいとも濃く、また高く舞い上ったため、あの山腹の顔が全く隠されて、アアネストの目には見えない程であった。近所近在のおえら方は皆な乗馬でやって来た。即ち制服を着けた国民軍の将校達、此の州選出の下級議員、県知事、新聞の編輯者連等々である。それから沢山のお百姓連中も亦一張羅の晴着を着込んで、根気の強い自家の駄馬に乗っていた。一切が実に物凄く華々しい景観であった。殊に騎馬行列の上には、高く数知れぬ旗が、これ見よがしに翻えり、その中には、この名高い政治家と、かの偉大な石の顔との派手な肖像画の描いてある旗もあって、まるで二人の兄弟かなんぞのように、互に親しげに微笑みかわしている様を現わしていたから、光景は益々きらびやかとなった。若しこうした絵が信用され得るものとすれば、二つの顔の互に相似ることはただただ驚くばかりであった、と率直に認めねばならない。そこには音楽隊がついていたことを言い落してはならない。楽隊は歓呼の音曲を高く響かせ、山々に山彦を鳴り轟かせていた。そのため、快活にして、魂を鼓舞する旋律が、峰々谷々から湧き起って、恰も彼の生れ故郷の盆地の総(あら)ゆる隅々隅々までが、この名声高い賓客を歓迎せんとて、それぞれの声を持ち寄って叫んでいるが如くであった。しかし最も素晴らしい感激は遥か彼方なる山の断崖が、その音楽をこだまして響き返して来た時だった。その時こそ、かの偉大な石の顔そのものが、歓喜に満ちた合唱に声を和して益々その音量を拡大し、予言の人物が遂に来たことを認めるかのように思われたから。

(つづきは: 第6回 2000年12月18日


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