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2001年4月24日:本田宗一郎物語(第124回)

 今日紹介する文章は、1984年の「ホンダ社報」新年号(NO.176)に掲載されたものです。
 (ホンダ広報部の許可を頂いています)

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 「視点」 このページは、学者や新聞記者をはじめとするそれぞれの分野での専門家に、企業と取り巻く情勢、社会情勢、経済問題などの今日的ことがらについてわかりやすく解説又は提言していただくコーナーです。

 <ドン=キホーテ>

W:先生、プレリュードですね。これ。
S:そうだよ。だけど"先生"はやめてくれよ。もう教師じゃないんだし、君だって高校を卒業して何年だっけ? ええっと……
W:6年です。でも、それじゃ何て呼べばいいんですか? 名前で、ですか?
S:ニックネームとか……
W:そりゃ無理ですよ。そうだな。名前でとなると、ううん…… そうだよ、そんなことより、先生!先生はホンダの作ったマシンの中で好きなものを三つ選べと言われたら何をあげますか?オートバイ、レーサーも含めて。
S:何だい、藪から棒に。
W:前から一度聞いてみたいと思っていたんですよ。ほら、授業中によく話してくれたでしょう。車やオートバイの話。
S:そうだったね。君も好きだったからな。
W:ホンダファンですしね、僕も。で、どうなんですか?
S:難しい質問だね。三つだけかい?
W:三つです。その答えを先生の評価材料にさせていただいて……。
S:おいおい、今度は脅迫かい! そうだね。三つだろう。あれと、これ、いや、あっちだな。
……
 よし、決定。
 空冷F1、RA302
 初の小型車、ホンダ1300
 4サイクルGPレーサー、NR500
 どうだい?
W:……真面目に答えてくれたんでしょうね。
S:ああ、大真面目だよ。
W:予想が全くはずれましたよ。先生があげてくれたの、世間ではあまり高く評価されていませんよ。ホンダ1300についてはよく知らないけど。
S:ホンダ初の小型車で、1300ccながら4キャブ115馬力、15年前で、だよ。
W:へえ、115馬力ですか。今のシティーターボ以上ですね。こりゃ驚いた。
S:とにかく馬力だけはすごかった。でも、当時、カーグラフィックに、<ホンダは車の何たるかを知らない。車はエンジンのためにあるものではない>とかいった意味のことが書かれていたね。カーブの時、片方の後輪が浮いている写真つきで。
W:へえ、だけどなんでまたそんな失敗作が好きなんですか? もっとも、僕も先生の教え子の中ではデキのいい方とは言えませんけどね。
S:君の数学の点はひどかったからな。
W:それはもう時効ですよ。それより……。
S:そうだね……。ベートーヴェンについては君も少しは知っているよね。そのベートーヴェンがね、これはまだ彼があの有名な九番目の交響曲を作る前の話なんだけど、ある人から質問を受けた。
<あなたは自分の八つの交響曲のうちで、どれが一番好きですか?>
ベートーヴェンは即座に答えた、
<第三番(英雄)です>
質問者は聞き返したんだ。
<第三番ですか、第五番(運命)ではないのですか?>
ベートーヴェンはやっぱり三番だ、と答えたというんだよ。というのはね、この二つの曲は客観的見地に立って見ると、明らかに第五番のほうが上なんだ。構成面、それに内容の充実、ということに関してもね。第三番は、1,2楽章がやたらに大きく、3,4楽章は極端に小さい。かなりアンバランスなんだよね。思わず聞き返してしまう気持ちもわかるね。
W:それなのにベートーヴェンは第三番が好きなんでしょう。何故だろう。
S:うん。実はね、僕も三番の方が好きだったんだ。この話を知る前から。だから彼の気持ちがわかるような気がするんだ。
 つまりね、この三番を作曲するにあたって、彼の表現したいことは余りにも大きすぎたんだね。だから、それを適切な音に代えることができない。そして、それを乏しい技術でゴリ押しするものだから、全体のバランスが崩れてしまっているんだ。気持ちが作曲技法を飛び越えてしまったんだね。でもね、わかるかな。アンバランスだからこそ、逆に迫力があるんだよ。曲がアンバランスになってしまう程、ベートーヴェンは思いが深かったわけだからね。この作曲で彼自信も何かをつかんだんじゃないかな。
W:なるほど。アンバランスゆねに……か。うん。ベートーヴェンの気持ちわかるな。
S:さっきあげた三台のうちの二台、"RA302"と"1300"がまさにこの第三番なんだ。この二台の車は、夢が先走りすぎて技術がついて来ない。
W:だけど迫力がある。ホンダの大きな夢が痛いほど伝わってくる、というわけですか。
S:そんなんだ。それにこの二台はドン=キホーテを連想させるんだ。
W:ドン=キホーテって、あのドン=キホーテですか?いくら何でも、そりゃちょっと。
S:そりゃちょっと、か。まあ無理もないか。ドン=キホーテ、イコール滑稽ってことになるんだろうからね。でも、好きなんだな、僕は。夢を追いかけていると、時として現実から遠く離れてします。その様子は、周りの者には、滑稽でしかないよね。本人は真剣そのもの。それがまたおかしくてね。でも現実にどっぷりとつかっている人間には見えない真実を、夢を追うことでつかむこともあると思うんだ。これが僕の言うドン=キホーテなんだ。
W:うーん。ホンダとドン=キホーテとはおもしろいですね。じゃあ残る一台、NR500については?
S:うん。ちょっとその前に…… RA302とホンダ1300なんだけどね。これらが世に出てから、ホンダはそれまでのホンダから脱皮したんだ。成長したんだね、つまり。
 だけど僕はすっかり落胆してしまったんだよ。なぜってね。ホンダは成長して"大人"になってしまったんだ。大人になったホンダは、見る夢も大人のものだった。アイディアコンテスト、1枚ベスト。新しいアイディアは出てくるかもしれないけれど、へんに大人びたものばかりでね。がっかりだったよ。ホンダはもう、子供っぽい無邪気な夢なんて捨ててしまったのかなってね。
 そんな時なんだよ。NR500が出たのは。
W:おっ!やっと登場ですか。
S:これがすごいマシンだったんだ。初戦で転倒炎上。NHKのニュースでも流れたよ。それ以後予選落ちばかり。皆笑ったね。まさにドン=キホーテさ。僕も笑った。嬉しくてね。
W:ホンダが帰ってきたんですね。僕にもわかりますよ。その感じ。うん、わかるなあ。
 では、今参戦しているF1のターボ・エンジンについてはどう思われているのですか?
S:F1か。あれは、夢じゃなく勝利を追うためのエンジンだと思うね。勿論、勝って欲しいよ僕だって、でもね……。
W:じゃあ、どんなエンジンだったら?
S:自然吸気(ノン・ターボ)V型10気筒8×10バルブ、2×10プラブ、楕円ピストン。
W:……笑われるでしょうね。
S:笑われるだろうね。でも見たいな。そんなホンダが。いいエンジンを作ったって、優勝続けたって、笑われないホンダなんてつまらないよ。
W:夢を追いかけるホンダ。本当にそうあって欲しいですね。夢か。でも、先生は、みてますか夢を。大人びて、干からびていないでしょうね。
S:夢、ね。夢、だろ。……目を閉じるとね見えるんだ。僕は原稿を書いている。ホンダにだ。あれは社報だね。うん、まる。そうだよ。ホンダの社報に載せる原稿を依頼されるんだ。当然久米社長もご覧になる。何ってたった社報だからね。そして、えっ、招待? 85年の鈴鹿F1レースに? 本当に? 光栄だな。興奮するなあ。
……というわけで、ここは鈴鹿。いいかい、F1だよ、F1。物凄い熱気だ。あっ、久米社長だ。かなりの興奮状態。えっ、僕?もちろんいるよ。社長の隣に。
 だけどそれ以上聞かないで欲しいんだ。
 僕の心は、もう僕のものじゃない。
 コースをひた走る、あの愛すべきドン=キホーテの勇姿にすっかり奪われてしまっているんだ……。

 1983年末、庄司渉

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2001年4月25日:本田宗一郎物語(最終回) につづく



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