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参考資料:F1ターボ時代について

 原稿を書いた後に、記憶が正しかったどうか、田渕大介、桜木恒夫に調べてもらいました。
 その報告書をそのまま載せます。

遅くなりました。ご質問の件、お送りします。
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@ルノーのターボは何年にデビューしたのか?

1977年第10戦イギリスGP(シルバーストーン)からのデビューです。
高速サーキットを選んだのかもしれません。デビュー戦では予選21位通過、決勝はターボのトラブルでリタイアです。

その後2戦を欠場し、満を持して出走したオランダGPでは、予選10位通過ながら、リアサスのトラブルでリタイアしています。以後3戦しますが、これを越える予選結果は残せず、結局全戦で決勝リタイアとなってしまったようです。最後に走ったカナダGPでは、予選も通れなかったと記録されていました。

ドライバーは、J.P.ジャブイルというフランス人ドライバー1人のようです。一応1974年のデビューながら、1976年終了時までわずか3回しか出走しておらず、1977年がほとんどデビューの年だったようですから、ホンダと同じく最初は強いドライバーを得られなかったのだと思います。

翌1978年は、同じドライバー1人で全16戦中14戦に出走し、10戦でリタイアです。リタイア理由はほとんどがエンジンとターボ周りのようでした。しかし、この年、後半戦に入ってから、オーストリアGPとイタリアGPでともに予選3位を記録して、最終戦ひとつ前のアメリカ東GPではついに4位に入賞し、3ポイントをゲットしています。ドライバーズタイトルで17位、コンストラクターズで12位でした。


A最初に1勝するまで、何年何試合必要だったのか?

ルノーターボの最初の優勝は、1979年第8戦フランスGPでした。デビューから計32戦目、1年と15戦、つまりほとんど丸2年を必要としたようです。ホンダより時間がかかっています。

1979年は、ドライバーが1人増えています。この年デビューの新人レーサー、ルネ・アルヌーです。やはりフランス人ドライバーでした。フランス人の愛国精神を感じます。

全15戦中2人のドライバーで30回出走して、22回のリタイアです。しかし明らかに、エンジンやターボのトラブルが減っています。つまらないマイナートラブルばかりです。

第3戦南アフリカGPで、ファーストドライバーのJ.P.ジャブイルが初めてのポールポジションを獲っています。しかし決勝はリタイアでした。その後第7戦まで延々と低迷し、ついに第8戦母国フランスGPでJ.P.ジャブイルがなんとポールtoウィン。ルネ・アルヌーも予選2位から決勝3位というすばらしい結果を出しました。序盤でフェラーリのジル・ビルヌーブにトップを奪われながら、46週目で抜き返し、そのままフィニッシュ。ジル・ビルヌーブを間に挟んでの1位3位です。3位に入ったルネ・アルヌーも、レース中のファステスト・ラップを記録しています。天候は晴れですし、強豪と堂々と競っての結果です。

その後も、ポールポジションを4度(各ドライバー2度づつ)、予選2位も2度奪うなど速さを示しますが、リタイアが多く、完走したレースでは2位が2回、6位が1回、14位1回という結果でした。つまり、リタイアしなければほとんど常に上位にいたことになります。リタイア原因も非常にマイナーなものばかりで、さぞかし悔しかったことでしょう。結局、合計して26ポイントを獲り、ドライバーズで8位(アルヌー)と13位(ジャブイル)、コンストラクターズで6位でした。

ちなみに翌80年は、同じドライバーで14戦に出走し、ポールを合計5回獲り、決勝ではJ.P.ジャブイルが1勝、アルヌーが2勝しています。この年もリタイアが多く、リタイアを逃れたときはほとんどトップ10内でフィニッシュしています。リタイア原因もパンクとかクラッチとか相変わらずマイナーなものが多かったようです。ドライバーズで6位(アルヌー)と8位(ジャブイル)、コンストラクターズで6位でした。


Bターボによるワールドチャンピオンは、ブラバム・BMWで合っているか

ドライバーズタイトルで言いますと、その通りです。1983年、ネルソン・ピケがブラバム・BMWでワールドチャンピオンです。しかしこの年、ブラバム・BMWはコンストラクターズ・タイトルを逃しています。

一方、コンストラクターズタイトルとしては、1981年にターボエンジンをデビューさせたフェラーリがその翌年、1982年にチャンピオンになっています。しかしこの年のドライバーズタイトルはNAエンジンであるウィリアムズ・フォードのケケ・ロズベルグが獲っています。

ごちゃごちゃしてしまいましたのでまとめます。

ターボエンジン初のドライバーズタイトル:1983年 ブラバム・BMW ネルソン・ピケ
ターボエンジン初のコンストラクターズタイトル:1982年 フェラーリ(同年ルノー4勝で3位)

ちなみに、1981年から82年にかけて、F1はターボ時代の幕開けを迎えていて、81年は、フェラーリ、トールマンが、そして82年にはブラバム、アルファ・ロメオもターボエンジンを実戦に投入して、ターボエンジンを使用するチームは、ルノーを合わせて全5チームとなったようです。


Cルノーはターボでチャンピオンになれたのか?

なれませんでした。下記に全戦暦をまとめておきました。

78年ドライバーズ:17位(ジャブイル)/コンストラクターズ:12位
79年ドライバーズ:8位(アルヌー)、13位(ジャブイル)/コンストラクターズ:6位
80年ドライバーズ:6位(アルヌー)、8位(ジャブイル)/コンストラクターズ:6位
81年ドライバーズ:5位(プロスト)、9位(アルヌー)/コンストラクターズ:3位
82年ドライバーズ:4位(プロスト)、6位(アルヌー)/コンストラクターズ:3位
83年ドライバーズ:2位(プロスト)、6位(チーバー)/コンストラクターズ:2位(フェラーリと10pt.差)
84年ドライバーズ:7位(ワーウィック)、11位(タンベイ)/コンストラクターズ:5位
85年ドライバーズ:12位(タンベイ)、14位(ワーウィック)/コンストラクターズ:7位

Dターボ時代のルノー対ホンダの勝率

ルノーターボ:参加9年間で232回出走、決勝15勝、ポール奪取31回、勝率6.5%
ホンダターボ:参加6年間で245回出走、決勝40勝、ポール奪取35回、勝率16.3%
(ホンダターボは、83年〜88年まで計7チームで参戦)

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以上です。小説の内容に、間違いはありませんでした。


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