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2001年3月29日:本田宗一郎物語(第99回)

 N360は、売れた。
 当然のこととして、N360の上のクラスの車、大衆車を作らなければならなくなった。N360でマイカー族となった人たちは、買い替えの時期に、日産のサニーやトヨタのカローラに流れていった。そのお客さんに買ってもらえるような車が必要だった。
 N360の爆発的なヒットで、宗一郎は自分の確信が正しかったと、新しい大衆車のコンセプトには、N360のそれを引き継がせた。
 空冷エンジンであること。高出力であること。
 また、継続となったF1においては、N360と次期大衆車の販売支援上、空冷エンジンで参戦し、空冷エンジンの可能性をアピールすることになった。
 こうして、次期大衆車ホンダ1300と、空冷F1RA302が開発されることになったのである。

 宗一郎は、最後まで空冷エンジンを主張した。
「水がなくても動くというのははすばらしいことだ。水冷にしたって、最終的には水を空気で冷やすだけのことじゃないか。だったら最初から水なんてなければいい。軽量化にもつながるからな」
 しかし研究所のスタッフは懐疑的だった。
「軽自動車の360cc程度のエンジンなら空冷でも大丈夫かもしれないけど、それより大きなエンジンでは無理だな」
 誰かがそれを口にすると、宗一郎は、
「第二次世界大戦で最強といわれたドイツ機甲化師団を知ってるか? ロンメル将軍の率いた師団だ。あそこのジープのエンジンは、空冷のフォルクスワーゲンだったんだぞ。だからサハラ砂漠でイギリス軍に勝てたんだ。イギリスのは水冷だったからな」
を繰り返したという。
「時代がちがうよな」
を耳にすれば、
「時代だと、あのポルシェを見ろ! あそこはずっと空冷だ。世界的はスポーツカーが空冷だぞ」
「でも、ポルシェはDOHCや4バルブじゃないからな。うちのエンジンは空気じゃ冷えないよな。それにポルシェの空冷F1は勝てなかったよな」
と聞けば、
「ポルシェの空冷はいいんだが、あの扇風機はよくない。うちの空冷には扇風機をつけるなよ!」
 扇風機とは、エンジンに直結のプロペラがエンジンを冷やす強制空冷のプロペラを指している。宗一郎は、これは効率がわるいので、自然空冷だけでやれ、と主張したのである。
「いったいどうやって、エンジンを冷やせというんだ」
という不満が出れば、
「そうだ、エンジンのクランクケースに、風を通せ!」
「そりゃ無茶ですよ。オイルが飛び散るじゃないですか」
「出てきた空気を遠心分離機にかけオイルと空気を分離して、オイルはもどす。オイル分を含まない空気を外にだせばいいじゃないか」
「それにしたって、うるさいエンジンになりますよ」
「うるさいのはいかん。そうだ、全体を何かで覆えばいいじゃないか。いいか水冷より静かなエンジンにしろよ」
「たとえできても、水冷エンジンより重い空冷なんてことになりますよ」
「新しい素材をふんだんに使え。それに知恵を出して解決するんだ。それが技術者だろ!」
「水冷なら、もっと簡単に、いいエンジンが作れるんです」
「遠回りをすることが大事なんだ。もっとも困難な道を選ぶが、俺のモットーだってこと知ってるだろ」
「それは、社長個人のモットーであって、会社のモットーではないでしょう。それが会社のものなら、そんな会社つぶれますよ。おやじさんは、社長でいたいんですか? それとも、技術者としていたいんですか?」

 結局この問題は、宗一郎社長退任時まで社内で続くのである。

 筆者は、空冷問題を、ここでちゃかして取り上げているわけではない。クリンジリーの話を思い出していただきたい。コマンドーが戦況の変化にともなって、どのような立場に追いやられるかを、すでに私達は一般論として理解している。
 本田宗一郎は、ただのコマンドーではない。天才的で破壊的で最強のコマンドーだったのである。そのコマンドーが任務を終えるとき、どんな心境だったのか、心が痛い。

 僕達の会社が上手くいき、いくらか自由なお金ができたら、僕達は、宗一郎が夢見た空冷エンジンの車を作ってみようと思っている。最新の素材と現在の技術をもってすれば、そして宗一郎を尊敬す気持ちが導いてくれるひらめきを持ってすれば、実現できると確信している。僕達は宗一郎に恩返しをしなければならないのだ。

 これから先の、悲しい話も、そのことを何度も自分に言い聞かせながら続けていこうと思う。


2001年3月30日:本田宗一郎物語(第100回) につづく


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