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2001年3月25日:本田宗一郎物語(第95回)

 中村は、ラテン語の電報を研究所に送った。
 「Veni Vidi Vici」
 「来た、見た、勝った」というシーザーの有名な戦勝報告だった。
 しかし、この電報の意味を直ぐに理解したものはいなかったという。
 優勝をしたことがわかると、翌日さっそく宗一郎は、記者会見を開いた。
 「わたしは、自動車をやるなら、まずはF1から始めるべきだ、と思っていた。何かを始めるときには、最も難しいとことから、というのが私のモットーだからだ。そしてついに優勝した。勉強が実った。F1で得た貴重な勉強に成果は、これからホンダの市販車に大いに役立てられるだろう」
 しかし、ホンダF1が優勝したという記事は、一般紙には掲載されなかった。日経新聞が、自動車ショーの参考出品車の紹介を66行した後に、16行の記事で、
 「本田技研に25日入った連絡によると……」
とい扱いだった。
 10月29日の朝刊に、ホンダは一面広告を打った。レース中のRA272の写真と、ミス・メキシコから優勝の祝福を受けるギンサーの写真からなる広告だったが、次のような但し書きから始まる。
 「ホンダは量産車メーカーです。レーサーメーカーではありません……」
 そういう時代だった。ホンダの優勝は、宗一郎にとっては遅すぎたものだったかもしれないが、間違いなく日本には、早すぎるものだったのある(それから35年後の、2001年3月23日一般紙に、トヨタは来年からF1に参戦するためのテスト車を開発し、テストを開始するという記事が写真入りで紹介されている)。

 日本にとっては早すぎる成果数々ではあったが、それを手にした宗一郎は、この時期、最も幸せであったのではないか、と筆者達は思っている。

 「コンピュータ帝国の興亡」を著したロバート・X・クリンジリーは、その著書のなかで、会社の成長を軍事作戦にみたて、次のように述べている。
−−−−−−−−−−
 国を侵略するにせよ、市場を侵略するにせよ、戦端を開く第一波は、コマンドーである。(中略)
 コマンドーは、敵の前線の後方に、パラシュートで降下したり、あるいは夜間、密かに上陸用作戦を敢行したりする。ベンチャーの最大の武器はスピードであり、スピードはコマンドーの命である。彼らは安い賃金で、必死になって素早く仕事を進めるのだ。プロ根性という点ではレベルが低いこともあるが、それは気にしなくてもいい。プロ根性は高くつくものだからだ。彼らの任務は奇襲とチームワークによって敵に大きな損害を与え、敵に気づかれないように橋頭堡を築くことにある。完成した製品が目的にぴったりかなったものであれば、理想的にはその存在だけで他の製品をうち負かすことができるくらい独創的なものになるはずだ。コマンドーは、その製品のプロトタイプを作ることによって任務を遂行するのだ。
 多くの製品について独創的であることが許されるのは、コマンドーだけだ。コマンドーだけが先端技術の水準を徐々に引き上げ、顧客の需要に対して独創的な解決策を提供できるのだ。彼らは潜在的顧客の要求に接し、開発プロセスを冒険と見なし、その製品全体に影響を与えるのである。だが、彼らの作り出すものは、製品のように見え、製品のように振る舞いはするが、往々にして製品と呼べない代物であることが多い。その製品にバグが残存し、コマンドー的人間が見逃しがち大きな欠陥が潜んでいることがあるからだ。あるいは、きちんと機能はするが、大きなコストをかけて設計のやり直しをしないかぎり利益が出るような形で生産できない場合もある。だが、この種のやり直しの作業にコマンドーは向いていない。すぐに退屈してしまうのだ。
(中略)
 コマンドーを解雇するのは簡単だ。結局のところ商売にしても戦争にしても、そのほとんどは保守的なものだ。しかしコマンドーがいなければ、浜辺に上陸することもできないのである。
 コマンドーが任務を遂行しているあいだに、沖合いには第二波の部隊である歩兵隊が待機している。この部隊は集団となって浜辺に上陸し、コマンドーが彼らのために残した成果を足場にして早期の勝利を目指すことになる。第二波部隊の任務はプロトタイプをテストし、改良して製造可能なものにし、マニュアルを作成してマーケティングを行い、作戦が理想的に進行した場合には最終的に利益を生み出すことだ。したがって、任務の遂行には、コマンドーが嫌う規律と手続きをいう基盤が必要になってくる。第二波の兵士達は、規律と手続きをきらうコマンドーを信用していない。もっとも、そのころになると、コマンドー達は退屈してドアの外の方に目をやるようになっているから、信用されていないことなど気付きもしない。
(中略)
 コマンドーは成功の可能性をもたらすが、実際に成功をもたらすには歩兵だ。
 それが終わると、歩兵は別の地域でまた同じ仕事を繰り返す。彼らがあとにした地域にも、ある程度の駐留軍が必要だ。それが第三波の部隊である。だが、彼らは変化を嫌う。彼らは軍隊ではなく警察なのだ。第三波は、別の土地の侵略や別の浜辺の上陸を計画することはない。人員を増やし規模の利益と規模の帝国を作り出すことによって、成長を促進しようとするのだ。
(中略)
 彼らは、第一波や第二波時代の設立者を思い出すことさえできないのである。
 こうした既存企業のエンジニアは製品の一部にしか関わらず、自分達の仕事を冒険ではなく単なる作業と考え、通常は顧客との接触をまったくもたない。彼らは、金持ちになることも期待していない。
−−−−−−−−−−−−−

 そして、クリンジリーは、会社成長期の危機は、そうした部隊の交代期にある、と述べている。どうして、筆者が、ここで、クリンジリーの文章を長々と引用したのか?
 それは、クリンジリーが述べたようなことに対する認識が無いところで、これからの宗一郎を語ることができないからである。残念ながら、そういった配慮のない著作が多いのである。凡人が天才を記述する危険がここにも潜んでいる。


2001年3月26日:本田宗一郎物語(第96回) につづく


参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、「HONDA F1 1964−1968」ニ玄社、「コンピュータ帝国の興亡」アスキー出版、その他

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