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2001年3月10日:本田宗一郎物語(第80回)

  本田宗一郎物語(第80回)

 壊してしまったオイルパンを取り替えるのに、クルー達は、徹夜をしなければならなかった。理由はいくつか考えられる。残された当時の記録や、現在のホンダのホームページにも、その第一の理由は、メンテナンスを無視した設計であった、と書かれている。しかし、それは正しくない。なぜなら、佐野の用いたこの方法、フレームを用いないモノコックボディ、エンジン自体を強度メンバーとする考え方。そして、後輪を支えるサスペンションをエンジンに直接取り付けるという、このやりかたは、その後F1の主流になるからである。本当の理由は別のところにあった。クルー達が、エンジンを載せ換えるという作業の訓練をしていなかったためである。そして第ニに、クルーがうちのF1マシンはメンテナンス性が悪いと思っていたことであった。そういった思いが、士気を落としたのである。
 中村は、徹夜で乗せ換え作業をするクルーの食事を調達するために、サーキットから数十キロ離れたホテルとの間を何度も往復しなければならなかったと書いている。

 公式予選二日目の朝が明けた。中村の頭にあったことは、規定周回数をクリアすることであった。
「監督、まだキャブレターの調整ができていません。1周23キロもあるんです。1周まわったところで、キャブの調整をさせてください」
「いや、ゆっくりでもいい、5周もってくれればいいんだ。バックナム、5周だ、5周してこい」
「しかし、どっちにしたって、キャブの調整をしなければ」
「いいから、俺にまかせろ」
「……」
 中村は、バックナムをコースに出した。
 クルーたちは、祈るような気持ちでRA271を見送り、そして待った。
 1回、2回、3回、4回。
「後一周だ、頼む、1周だけでいい、もってくれ」
 中村は、そう思った。
 しかし、RA271は帰ってこなかった。ピストンが焼き付き、コースの途中で動けなくなっていたのである。

 絶体絶命であった。午後のセッションが終了するまでにスペア・エンジンに載せ換え、あと一周を走らせるのはどう考えても不可能である。中村は腹をくくった。あきらめたのではなく、ドイツ自動車連盟に直接かけあうことにしたのである。
「チャンスをもらえないでしょうか」
 大会本部に行き、レースの責任者に声をかけると、中村はチーム事情をありのまま打ち明けた。
「このまま帰ればすべてが無になります。公式予選のあとに特別なセッションを設けて、あと一ラップだけ走らせてもらうわけにはいかないでしょうか」
 無茶な申し出である。しかしクルーとバックナムの尋常でない努力に報い、日本で朗報を待つスタッフが重ねてきた労苦に応えるためには、他に方法はなかった。
 中村の顔をしばらく見ていた責任者は、こう訊いてきた。
「予選中に作業が終わる可能性はどのくらいあるのです?」
 すぐさま中村は答えた。
「まったくありません。しかしわれわれは、まったく存在しない可能性のために全員が必死で頑張っている。そのことは認めていただきたいのです」
「わかっています。この二日間、あなた方がいかに努力してきたか。それは誰もが理解していますよ。しかし、ホンダだけに特別なチャンスを与えるわけにはいかない」
 レース責任者は難しい表情になり、目を閉じて、しばらく考えにふけった。中村はその顔をじっと見た。次に目を開いたとき、そこにはいたずらっぽい笑みが広がっていた。
「そうだ。全員にチャンスを平等に与えればいい」
 公式予選の終了一時間半後に、全チームに四十分だけ練習走行の時間を与える。それが責任者の下した結論であった。
「そこでの一周を規定周回に加えることにします。ただし、それが最後のチャンスです」
 ピットに駆け戻った中村は、そこで展開されている光景を目にして、あやうく涙ぐむところだった。絶望的な状況であるにもかかわらず、クルー全員が一心不乱にエンジンと格闘していたのである。
「みんな」
 声が震えて聞こえないように、中村は腹に精一杯力を入れて言った。
「走れるぞ。もう少しだけ頑張ってくれ」
 しかし、中村の判断は甘かった。追加の一周は何とか走り終えたものの、もう少しだけどころか、メカニックはまたしても夜を徹しての仕事を余儀なくされたのである。
 エンジンを2回にわたって載せ換えた時に、変えておくべきギアを変えておかなかったからである。ギアの交換のために、再度エンジンを載せ換えるはめになったのである。
 キャブレターの調整もすんでいない。
 あせったために、全ての段取りがちぐはぐになったが、中村は、口を滑らした。
「俺は、こんなメンテナンス性の悪い設計をする社長が理解できん」
 一人の若いエンジニアがぼそっと中村に聞こえるか聞こえないかの声でつぶやいた。
「おやじさんには、俺達には見えないものが見えているんじゃないですか」

 前夜と同じように、ホテルからサーキットへ車で食料を運びながら、中村はぽつりとつぶやいた。
「どうして俺がこんなことをしなけりゃならないんだ」
 すでに怒りを通り越し、虚脱した無力感が中村の心身に広がっていた。だが、ここでやめるわけにはいかない。中村はハンドルを握り直し、アクセルをぐっと踏み込んだ。ヨーロッパ大陸に、夏のしらじらとした夜明けが訪れようとしていた。


2001年3月11日:本田宗一郎物語(第81回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

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