Ws Home Page (今日の連載小説)


2001年3月8日:本田宗一郎物語(第78回)

  本田宗一郎物語(第78回)

 ベルギーのホンダ・アロスト工場で整備をすませたRA271は、トランスポーターに積まれてオランダのザンドフールトにあるテストコースに向かった。トランスポーターの色は鮮やかなフレンチ・ブルーで、そこにHONDAの五文字が黄色く描かれていた。ホンダ・フランスの注文を受けた輸送会社が誤解し、自国の色であるブルーを使っていたのである。変更している時間はすでになかった。
 社長がいなくてよかった。これも俺のミスということになる。中村は胸をなでおろした。日本製のF1だぞ、色が違うじゃないか。そう言い、烈火の如く怒っていたにちがいない。
 その宗一郎は、日本にいた。生涯を通してホンダのマシンが出場するレースを、宗一郎が直接観戦することはほとんどなかった。ホンダのマシンが負けるのを見たくなかったからである。

 トランスポーターからおろされたRA271は、まさに注目の的であった。待ちかまえていたヨーロッパやアメリカのジャーナリストが、わっと取り囲み、さかんにカメラのシャッターを切った。だが、日本人のマスコミ関係者は、自動車専門誌に寄稿するフリーのライター一人だけであった。F1に対する日本での関心は、それほど低かったのである。
「行こうか、ロニー」
「OK」
 エンジンがかかると、誰も耳にしたことのない爆発的な音に、ジャーナリストたちは目を見張ってのけぞり、すぐに驚嘆の声をあげた。12気筒、220馬力のエンジンが放つ咆吼は、それほどすさまじいものだった。
 ザンドフールトのテストコースは全長4.2km。やさしいコースではない。多様なテクニックを求められる幾通りものコースが配されたそのコースを、バックナムの駆るRA271はまず1分50秒で通過し、最後には1分36秒までタイムを縮めた。快挙といってよかった。二か月前のF1グランプリで記録されたラップ・レコードに5秒と迫る計時だったのである。
 圧巻は、ストレートの飛び抜けたスピードだった。ジャーナリストたちは中村に向かって、爆音に負けぬよう大声で口々に言った。
「こんな速さは見たことがない。歴代のF1マシンのなかでも最高だよ!」
 ホンダが作り上げた12気筒4バルブ・エンジンは、今やポテンシャルを全開させていた。高回転型のそのエンジンの回転がピークに近づくと、キーンと澄んだ独特の高音を発した。すばらしい音だ、と誰もが言った。まるでミュージックだ、と。こののち「ホンダ・ミュージック」と呼ばれ、世界に鳴り響くホンダF1のエキゾースト・ノートの印象は、耳にするすべての人にとってそれほど鮮烈で、また美しかったのである。

 数周にわたってミュージックを奏でたRA271が、メカニックとエンジニアの待つピットに戻ってきた。中村をはじめ待ち受けるクルーは、笑顔のような、困って眉を寄せているような曖昧な表情になっている。コックピットから身を引き抜くようにして降りてきたバックナムが、ヘルメットを外すと汗も拭かずに話しはじめた。
「パワーのあるエンジンだけど、デリケートすぎてそのパワーが維持できないんだ。だから直線ではいい。素晴らしいパワーだ。でもカーブで一旦アクセルを緩めると、そこからなかなかパワーが上がってくれないんだ」
 これには二つの原因があった。一つは、車重である。F1マシンの規定最低重量は450kgであったが、RA271の車重は525kgであった。すなわち、ホンダF1はドライバーを二人乗せて走るのと同じ状態だったのである。もう一つは、エンジンである。回転数を上げることによってパワーを稼ぐタイプのエンジン特有の問題である。回転を上げるために可動部分を小さくする。ピストンは小さくなり、その分シリンダーの数は増える。吸気排気効率をよくするためにバルブの数を増やす。こうして増えた部品点数は、そのまま摩擦等によるロスの増大につながる。したがって、このタイプのエンジンは低回転域においての効率は悪いのである。効率が良くなるのは、回転がある回転以上になり、摩擦抵抗などのロスを相殺されてからであるが、その域からのパワーの増加は急激になるので、操るドライバーにとっては、非常にデリケートに感じるのである。F1の世界にこのような超高回転型のエンジンを持ち込んだのはホンダが最初である。したがってその特性にあった運転、エンジンを高回転に保ちつつ、ギアチェンジができ、ブレーキが踏め、カーブが曲がれるドライバーがは、まだ育っていなかったのである。
「コーナーの出口でアクセルをふかしてもパワーがなかなかついてこない、と思っていると今度は、急に、背中を突き飛ばされるみたいにパワーがかかる。何度もスピンしかけたよ」
 その問題には全員が気づいていた。ストレートで圧倒的に速いのに、思った以上にタイムが伸びない。理由はただひとつ、コーナーでロスしているからだ。ドライバー本人が語るように、コーナー出口でもたつく様子を、クルーは何度も見ていた。

 「監督、低回転域でも、パワーを稼ぐ方法はないんですか」
若いエンジニアが中村に尋ねた。
 「キャブレターの代わりにイギリス製の燃料噴射装置を使えば改善されることはわかっているのだが……」
「どうして、それを使わないのですか」
「おやじさんが、自分達で作ることに固執しているからさ」
「……」
「ドイツ・グランプリには間に合わないが、次のイタリアからは燃料噴射装置を使おう。日本に連絡しておくよ」
「大丈夫ですか、おやじさん」
「おやじさんだって勝ちたいはずだから、説得してみるさ」
 中村はさっぱりとした笑顔を見せて、クルーに声をかけた。
「とにかく、われわれの車のポテンシャルの高さは証明できたんだ。あとはこつこつと改良していこう。みんな、よろしく頼むぞ」
 はい、と応えたクルーの顔も明るかった。RA271はアクシデントひとつ起こさず、バックナムも初めての本格的なF1体験としてはまずまずであった。
 あとは7月31日のニュールブルクリンクでの本番、すなわち予選初日を待つだけであった。


2001年3月9日:本田宗一郎物語(第79回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他

Back
Home



Mail to : Wataru Shoji