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2001年1月30日:本田宗一郎物語(第41回)

  本田宗一郎物語(第41回)

 のちに"営業の天才"と称される藤沢武夫を得た本田技研は、その翌月に資本金を二百万円に増資。さらに翌昭和25(1950)年3月、中央での拠点として、京橋槙町(現在の中央区八重洲)に東京営業所を設けた。拠点とはいっても、わずか十五坪ほどの小さな店舗である。浜松工場の生産量も、ドリーム号D型が月産約五十台、エンジン単体(C型2サイクル)が百五十台余りという小規模なものであった。
 藤沢の急務は、製品の販売網の整備である。当時のオートバイ販売店は全国で約三百。そのうち、本田技研の代理店は二十軒に過ぎなかった。まずここを拡充し、販売力をつけることに藤沢は力点を置いた。技術開発という頭脳の部分は宗一郎が担えばよい。本田技研の脚力の強化を、藤沢は徹底して追いつめていった。
 それが早くも奏効した同年の九月には、東京・上十条のミシン縫製工場を買収。約四百五十坪の建物を改造して、オートバイの組み立て工場とした。浜松で製造したエンジンを運び、ここでドリーム号の完成車とするシステムが立ち上がったのである。

 本田技研は急速に伸長した。この時期、宗一郎とはアート商会で共に汗と油にまみれた経験をもつ元華族の斯波が入社。東京営業所には、西田通弘という若い男が入社している。
 やがて本田技研の重鎮となり、二十数年後には、宗一郎と藤沢が引退するきっかけをつくる人物へと成長する西田も、このときは右も左もわからぬ新人の営業マンである。西田ひとりに限ったことではなかった。本田技研の将来を担う若い力が意気揚揚と、この若い会社のドアをくぐっていったのである。

 ドリーム号D型の増産体制は整い、日に百五十程度の生産が可能となった。しかしここで宗一郎は、大きな壁に突き当たる。それはエンジンの構造であった。
「4サイクル・エンジンのシェアが増えてきている。一社だけ2サイクルでやっているうちが押されているということだ。そろそろ切り替えを考えるべきじゃないかな」
 エンジンのシリンダー内に送り込まれるガソリンと空気の混合気の燃焼を、吸入・圧縮/爆発・排気という2つの過程でおこなう2サイクル・エンジンは、吸入/圧縮/爆発/排気の4段階を経る4サイクルに比べて、同一時間で倍の作業をこなすことができる。出力が同じであれば、2サイクルの方がエンジンが小さく、軽くなる理屈である。だが、2サイクルには吸入と排気用のバルブが付いていないため、排気の際、混合気の一部も逃げ出してしまうという難点があった。4サイクルに比べて燃費が落ちるのである。宗一郎の手にかかれば、4サイクルのエンジンを設計することなどわけのないことであった。しかし宗一郎が何より嫌ったのは、当時のバイク用4サイクルエンジンの一般的な形式だった「サイドバルブ方式」の、バルブの配置だった。燃焼室の左右にバルブの機構が設けられるため燃焼室が大きく変形し、理想的な燃焼を得られない。現在では当たり前になっている燃焼効率の重要性を、宗一郎はこのときすでに直感的に見抜いていたのである。
「社長、これからは4サイクルの時代だよ」
 藤沢の意見に頑としてうなずかず、宗一郎は吐き捨てるように言った。
「おれはサイドバルブが嫌いなんだよ」
 藤沢の論拠はひとつ。2サイクルは売りにくくなっていたのである。理由はエンジン音にあった。高出力化をねらって毎分三千、四千と回転を上げて行くと、2サイクル・エンジンはキーンという独特の音を発した。それが消費者から嫌われていたのだ。一方の4サイクルは、二千五百回転程度で、2サイクルに比べて静かな点が好評を得ていた。扱うメーカー側にも、出力の低さという弱点を是正しようとする意志はなく、現状維持で売れればいいという姿勢である。よりコンパクトでパワーのあるエンジンを追い求める、今なら当然のような宗一郎の考えが、理解されるような時代ではなかったのである。
「とにかく今は2サイクルで行く」
 ことば少なに言う宗一郎を、藤沢はそれ以上説得しようとはしなかった。
「わかった。もう何も言わないよ。ただし、これだけは頭に入れておいてくれ。ドリーム号D型の売れ行きは頭打ちになってきている。巻き返しもありえないだろう」
 宗一郎は無言で立ち上がると、部屋から、そして建物から出た。

 2サイクル・エンジンを盲信し、いたずらにそこに拘泥していたわけではない。宗一郎は、4サイクルの利点は認めながらも、機械効率の悪さに、嫌悪感を覚えていたのである。しかし、何とかしなくては、藤沢の言葉に、そう思う宗一郎でもあった。
 見上げた空は青い。その彼方から、一瞬だけ、しなやかな獣が咆吼するような声が聞こえた。その声こそ、宗一郎が求めてやまない、幻のエンジンの響きであった。


2001年1月31日:本田宗一郎物語(第42回) につづく



参考文献:「本田宗一郎物語」宝友出版社、その他


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