Ws Home Page (今日の連載小説)


第8回 2000年12月20日

偉大な石の顔(第8回:最終回)


 アアネストが詩人の話に耳を傾けていると、かの偉大な石の顔も亦聴き耳を立て、前へ乗り出して来たかと思われるのであった。彼は熱心に詩人の生き生きと輝く両眼に見入った。
 「貴方はどなたですか? 不思議な天分を授かっているお客様、」と、彼は云った。
詩人はアアネストが読んでいた本を指さした。
「貴方はこの詩集をお読みでしたね。」 彼は云った。「それじゃ私を御存じなのです、__私の作ですから。」
 再び、そして前より猶もっと熱心に、アアネストは詩人の目鼻立ちをつくづくと見詰めた。それから、かの偉大な石の顔の方へ振り向いた。それから又、客人の方へ、どうも合点の行かぬ面持ちで、振り返って見た。併し彼は失望の色を顔に表わし、頭を振り、溜息をついた。
 「なぜ貴方はお悲しみになるのですか?」と、詩人が訊ねた。
 「大きな訳があるのです。」 アアネストは答えた。「私は一生を通じて、ずっと、是まで或る一つの予言の実現を心待ちに待ち暮らして来たんです。そして私が此れらの詩を読んだ時に、貴方こそ其の予言を実現なさる方だと思って、そればかり望んでいたのですからね。」
 「貴方は、」と、詩人は、かすかに微笑みながら答えた。「私がかの偉大な石の顔に似た顔をしている人だと望んでおいででした。それで失望なさいましたのですね。以前ギャザゴゥルド氏や老ブラッド・アンド・サンダや老ストゥニ・フィズに失望されたと同様にね。左様、アアネストさん、それが私に定められた悲運なんです。あの有名な三つの名に私の名をお加えになり、そして貴方の希望を又ぞろ無にしたものと御記録なさらなければなりません。と云うのは__申し上げるのも恥かしく、悲しいことではありますが、アアネストさん__私は彼方に見える慈悲深い尊厳な姿の同族になれる価値なんか持合せていないのですから。」
 「それは又どうしたわけで?」アアネストは訊ねた。彼は本を指して__「こうした思想こそ神のものじゃありませんか?」
 「それらの想は神性の素質を持っては居ります。」 と、詩人は答えた。「天国の歌の遥かな反響ぐらいは、それらの想の中で聴き取ることが出来ましょう。併し、アアネストさん、私の生活は私の思想と合致していませんでした。私は雄大な夢を持って来ましたが、それらは単に夢に過ぎませんでした。なぜなれば私は__而も又自分勝手の選り好みで__貧しい、賤しい現実の中に生活して来ましたからです。それどころか、時としては__思い切って申上げることにしましょうか?__私の作品が、自然界や人生の中で、今迄の詩歌が企て得たよりも一層明晰にしたと云われている、雄大とか、美とか、善とか云うことに、私自身信念を欠いていることさえあるのです。して見れば、真と善の純粋な探求者たる貴方が、あすこに神性を表現している容姿に、私如きものが肖(あや)かることをお望みなさる理由が何処にあるのでしょう?」
 詩人は悲しげに語った。そして彼の両眼は涙で曇っていた。
アアネストの眼も亦同様であった。
 日没頃、アアネストは長い間、?々やって来た慣例に従って、近隣の人達の野外の集りに出て、説教をすることになっていた。彼と詩人は互に腕を組んで、歩きながらも猶語り合いつつ、定めの場所へと進んで行った。そこは山中の一寸した一隅で、背後には灰色の懸崖があり、そこには心地よく枝葉の繁った沢山の蔦葛が、あらゆるでこぼこな岩角から花飾りのように垂れ下り、丸裸な岩肌に、壁絨氈を掛けているため、崖の厳かめしい面影をすっかり和らげていた。地面より少し高いところに、緑の葉の繁り合った額椽の中に嵌め込まれた凹壇が崖に見えていた。人一人は充分そこに立てるし、それに、熱心な思想や純真な感情に伴って、我知らず出て来る手真似、身振りも自由に出来るだけの広さがあるところであった。この自然の説教壇へアアネストは昇って行った。そして、いつもの親しい、親切な視線を周りの聴衆一同の上へぐるりと投げた。立っている者、座っている者、或は草の上に寝ころんでいる者、銘々思い思いの姿勢をしていた。そこへ沈みかけた日の光が斜に彼等の上に落ちて来て、その物軟かな快活さを古木の森の荘厳さに混ぜ合せていた。夕日の黄金色の光線が、否応なしに、これらの老木の枝の下と云わず、枝の間と云わず、通りぬけ、くぐりぬけて行かねばならなかったからである。別の方角には、偉大な石の顔が見えていて、その慈悲深い顔容の中には、いつも変らぬ鼓舞激励の気色と、又いつも変らぬ尊厳な面持ちとを併せ浮べているのであった。
 アアネストは語り始めた。彼の心の中に有ったものを人々に与えて、人情に訴え、また理知に訴えた。彼の言葉には力が籠っていた。言葉が彼の思想と一致していたからである。そして彼の思想には現実性と深みとがあった。思想が、是まで絶え間なく彼の営んで来た日常の生活と調和していたからである。説教者の口から出たものは、単なる息ではなかった。それは生命の言葉であった。善良な行為と神聖な愛情との一生がその言葉の中に溶け込んでいたからである。純正にして華麗な真珠が、この貴重な飲み物の中に溶解されていたからである。詩人は、じっと聴いている内に、アアネストの人物と性格は、詩人が是まで書いたよりも遥かに高潔な一遍の詩歌であることを感じた。感激の涙に輝く眼で、この神々しき老人物を恭しく、じっと見つめた。そして、あのやさしく、美しく、思慮深い顔容(かんばせ)__その周りに散り乱れる白髪を背光とも見立てられるその顔貌、これほど予言者と聖者とに適(ふさ)わしい容貌は又と世にないものと、心窃かに感慨に咽ぶのであった。遥か彼方に、しかし、はっきりと、偉大な石の顔が、黄金色に輝く夕陽の光を浴びて、空高く現われていた。周りに白い靄が懸っている様は、アアネストの顔に乱れかかる白髪に似通っているのであった。その大慈大悲の御顔(かんばせ)は全世界を抱擁するように思われた。
 丁度、その瞬間に、アアネストの将に語らんとしていた思想と相通じ相応じて、彼の顔は慈悲心のはち切れるような雄大な表情を漂わせたので、詩人は押え難い衝動に誘われ、思わず知らず、彼の両腕を高く差し上げて叫んだ、__
「見よ! 見よ! 外ならぬアアネストこそ、偉大な石の顔の生き写しだ!」
 そこで、人々は皆じっと見つめた、そして、この深遠な洞察力を持つ詩人の云ったことは、真実だと云うことがわかった。予言は完成されたのである。併しアアネストは、自分の云うべきことを云い終ってから、詩人の腕をとり、足取りゆるやかに家路についた。誰か自分よりもずっと智慧があり、一層善行ある者が、偉大な石の顔に似た姿もて、程なく出現することを尚も望みながら、帰って行ったのである。

(終わり:明日からは新連載が始まります)


Back
Home



Mail to : Wataru Shoji