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第1回 2000年12月13日

   偉大な石の顔(第1回)

 太陽は既に傾きそめた或る日の午後のこと、一人の母親と幼い坊やとが、その田舎家の戸口のところに座って、偉大な石の顔の話をしていた。彼等は、ちょっと眼を上げさえすれば、はっきりと、それを見ることが出来た。幾マイルも離れた遠方ではあったけれども、陽の光はその眼鼻立ちを隈なく照し出していたのである。
 一体、その偉大な石の顔とは何であったのか?
 高い山又山の一族に抱かれて一つの盆地があったが、それは非常に広い谷間で、幾千という住民がそこに住まっていた。これら善良なる人々のうちには、登るに骨の折れる嶮しい山腹に丸太小屋を建て、周囲一面、昼なお暗い森に取り囲まれて住んでいるものもあれば、また盆地のなだらかな斜面や、平坦な地面に農家を設営して、そこの豊饒な土地を耕作し、安楽な家庭を造っているものもあった。かと思うと、また、多くの人口を抱えた村々を形成して群がり住んでいるものもいて、そこでは、天然自然の高地の小川が、更に高い奥山の出生地からたぎり落ちて来て、人間の巧妙な技術に依って捕えられ、手なづけられて、紡績工場の機械を余儀なく廻わされていた。要するに、この盆地の住民は数も多く、また様々な様式の生活をしていたのであった。けれども、大人も子供も皆等しく、この偉大な石の顔には一種の親しみを持っていた。尤も中には、他の多くの隣人達よりも、ずつと完全に此の自然界の雄大な驚異を見分ける才能を持っている者もあるにはあったが。
 そもそもこの偉大な石の顔というのは、大自然の堂々たる戯れ気分の手ずさびであって、屏風のように突っ立った山肌に、いくつかの巨岩怪石を以て形づくられているもの、それらの岩石は適当な距離から眺めると、まさしく人間の顔面に酷似して見えるように、うまく配列されているのであった。あたかも、滅法大きい巨人か、または、ギリシャ神話にある天孫巨人かが、この断崖の表面に己が面影を彫刻したかのように思われた。弓形の広い額は高さ百尺もあり、鼻は長い鼻筋が通って居り、それに、大きな唇は、若しも物を云うことが出来たとすれば、さぞや轟々たる雷のような音声を、その盆地の隅から隅まで轟き渡らせたことであろう。それを眺める人が余り近くまで寄って行くと、その巨大な顔形の輪廓を見失って、ただ重たげに大きな岩また岩が、相互に乱れ重なって、乱雑な廃墟の如きを見るに過ぎないというのも無理のない話である。しかし、後じさりして見ると、その不思議な目鼻立ちがまた見えて来る。更にもっと遠のけば遠のくほど、益々人間の顔に似て来て、而も本来の神々しさがそのまま現われている面差しを見せるのであった。こうして、しまいに、ぼうっと霞んで見えるほどに遠くなると、その周囲には、山々の雲やら輝やく霧やらが群れたなびいて、偉大な石の顔は、どう見ても生き生きと生命のあるもののように思われた。
 この偉大の石の顔を眼の前に眺めて成長し成人すると云うことは、子供達の身にとっても仕合せな運命であった。と云うのは、その目鼻立ちはどこもかしこも高雅なものであり、その表情は雄大にして且つ優しく、恰もそれは、大きな温かい胸から熱情が燃え出しているようで、その愛情の中に全人類を抱擁して猶余裕綽々と云う風であった。ただそれを眺めるだけでも、一つの教育であった。多くの人々の信ずるところでは、この盆地が地味豊饒なのも大部分はこの慈悲深い面貌(かお)のおかげで、この顔がいつも谷間の上に輝き、鮮やかに雲を照らし、太陽の光りの中にその優しさを染み込ませるためであると云うことであった。
 我々が初めに云いかけた通り、一人の母親と幼い坊やが、その田舎家の戸口に座って、此の偉大な石の顔を眺めながら、そのお話をしていた。子供の名はアアネストと云った。
「お母さん、」と、彼は云った。その時、かの巨人の顔は彼に親切な微笑を示していた。「僕はあれが物を云えるといいなと思うんです。なぜってね、あんなに親切そうな顔してるんですもの、声だって、きっと楽しい声に違いないですよ。若し僕が、ああ云う顔の人に逢えたなら、必ずその人を心から好きになるでしょうよ。」
「若し昔からの予言が本当に当るようなことがあるなら、」母親は答えた。「わたし達はいつか寸分違わない、あの通りの顔の人に逢えるかもしれないのね。」
「どんな予言なんですか、お母さん?」と、アアネストが熱心に訊ねた。「どうぞ、すっかり、お話して頂戴!」
 そこで母親は一つの物語を話してやった。それは彼女自身が、この幼いアアネストよりも、まだ、もっと幼なかった頃、やはり母親から聞いた物語で、それは既に過ぎ去った事の話ではなくて、これから起るだろう事柄の話であった。しかし、至って古い話で、この盆地に昔々住んでいたアメリカ印度人でさえ、彼等の先祖から伝え聞いたと云うほど古いもの、その先祖達の確言するところでは、その話は山の小川のせせらぎやら、木々の梢を渡る風の囁きなどから、聞き知ったものだと云うのであった。話の大要はこうであった。将来、いつか、一人の子供が、この辺りに生れて来る。その子は、その時代の最も偉大な、最も高潔な人物になる運命を持っていて、成人すればその顔は偉大な石の顔に瓜二つとなると云うのであった。昔者も若い人達も、等しく熱心に希望するの余り、今も、なお、此の古い予言を胸に抱いて、いつまでも信仰し続けている者が少くなかった。しかし、中には、もちっと世間をよく知っている者もあって、疲れ果てるまで、眼を皿にして待てど暮らせど、そんな顔の人間を見たことはなかったし、その辺り近所の人達よりも、ずっと勝れて偉大だとか、高潔だとか云うような人間に出逢ったこともなかったので、それは単に、いい加減な、出鱈目の話に過ぎないものと多寡をくくっていた。それはとに角、予言の其の偉人と云うのは、まだ出現していなかったのだ。

(つづきは:  第2回 2000年12月14日


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